西洋比較演劇研究会12月例会のお知らせ

西洋比較演劇研究会12月例会シンポジウム「ライブ×メディア—演劇と映像の関係性をめぐって」

2015年12月19日土曜日 14:00-18:00
会場 成城大学3号館 311教室

パネリスト:岡原正幸(慶應義塾大学)、辻佐保子(早稲田大学)、田ノ口誠悟(早稲田大学)、【司会】小菅隼人(慶應義塾大学)
コメンテーター:熊谷知子(明治大学)山下純照(成城大学)

マクルーハンは、『メディア論』の副題を、 “The Extension of Man” 「人間の拡張」として、言語や数を始めとする人間の「発明した」あらゆる表現媒体を「メディア」ととらえ、それらの媒体による人間の拡張可能性を指摘しました。マクルーハンは、声や身振りといった生得的な身体の直接表現と「メディア」を対置的なコミュニケーションと捉えており、前者が使われる部族社会(Tribal Society)を「メディア以前」の社会としています。マクルーハンの用語法を援用すれば、通常我々がイメージしている劇場はメディア以前の共同体ということになるでしょう。これまで、演劇には、ごく当たり前のように、「舞台は生物(なまもの)」、「実演の魔力」、「俳優のエネルギー」と言った神秘化が付され、演劇は、舞台上の身体と観客席の身体が同一の場に存在し、「直接的に」伝達される芸術とされてきました。

まず、ここで問題になるのは、俳優の「エネルギー」の支配が及ぶ範囲はどこまでか、という問題でしょう。マクルーハンの議論によれば、メディアに依らずに伝達できる範囲ということになるかもしれません。しかし、同じ時間、同じ場所に存在していても、つまり現前していても、現前効果が非常に薄い場合もあるでしょう。たとえば野球の試合において、外野席の一番後ろで見る野球体験と、テレビでアップやプレーの再現を交えながらで観る場合とどちらが現前効果はあるのでしょうか?

次に、時間的な差異は現前/現前効果という点からどのように考えたらいいのでしょうか? 2006年、ロンドンのパラディアム劇場で初演された『ロンドン・パラディアム劇場のシナトラ』では、スクリーンの中のフランク・シナトラ(1915‐1998)は、自らの生涯を語り、実際のオーケストラの演奏にシンクロして歌います。スクリーンの前では実在の20人のダンサーが踊り、時にはスクリーンを出入りします。パラディウム劇場はシナトラが1950年にイギリス・デビューを果たしたまさにその場所です。シナトラはすでに亡くなっていますので、ライブ・パーフォーマンスでありながら、このショーでは主演俳優がスクリーンの中にしか登場しません。このイベントは、ライブ・パーフォーマンという観点からどのように位置づけられるのでしょうか?舞台上のダンサーと映像の中のシナトラは、存在論的にどのような違いがあるのでしょうか?シナトラの現前効果はシナトラの現前を実現しないのでしょうか?

さらに、私たちは、演劇を論じる場合、多くの場合映像を利用しますが、それは、厳密な意味で演劇研究とは言えないのでしょうか?慶應義塾大学アートセンター土方巽アーカイブには、1986年に亡くなった土方の資料(主として映像)を求めて、ほぼ毎日のように、海外から研究者やダンサーが訪れます。一方、現在50歳代以上の中には、土方巽と一緒に活動をした研究者・ダンサーが残っています。映像でしか土方を知らない世代の研究者は、実際に土方巽の舞台経験のある研究者には、何らかの意味でも、及ばないのでしょうか?

パネリストの方々には司会者から3つの問いかけをしてあります。①演劇のメディアによるライブ性の拡張可能性をどこまで認めるか、②メディア化された演劇映像にどのような可能性と限界があるか、③メディア化された演劇映像を研究材料として使う場合にどのような問題があるのか。各報告者には、上記3つの問いに対する答えを織り込んでいただき、それぞれのご専門の具体例を1〜3例ほど示してくれるように依頼してあります。シンポジウムでは、最初に私が若干の趣旨説明をした後、まず、パネリストに各25分以内で報告をしていただき、その後、パネリスト間のダイアローグを行い、休憩にします。その後、コメンテーターの発言に続いて、ダイアローグをフロアに開きたいと思います。多分演劇体験の根本にも及ぶであろうこの大きな問題を、皆様と一緒に考えたいと思います。(小菅隼人)

岡原正幸(慶應義塾大学)「パフォーマティヴ・ターン以後の認識実践」

社会学的な認識実践の歴史において、個人・身体・主体の系と、社会・役割・システムの系は長きにわたって、主人公の役を互いに奪い合ってきた。1980年代以降、両者の調停は幾度となく繰り返され、純粋な社会理論の次元では主人公を分け合っている現状である。他方、生きられる経験を主軸として身体性に着目する認識実践が90年代以降登場する。今回の私のトークでは、専門としてきた社会学実践の動きを参照しながら、演劇という出来事における「ライブ×メディア」の問題を考えたい。デリダが西欧哲学の流れで批判した現前の形而上学、それと同型の経験構造は近代社会の成り立ちの根幹にもあり、私たちの日常意識を形成するものでもある。およそあらゆる社会制度は、芸術も文学も演劇も、この形而上学を「事実」として受容することで、あるいはそれを日々実践的に再生産(パフォーマンス)することで運営されてきた。演劇学や社会学という研究実践、認識実践もその例外ではない、この点に注目しながら、司会者の問いかけに答えられたらと思う。

岡原正幸(おかはらまさゆき)慶應義塾大学文学部(社会学専攻)教授。慶應義塾大学経済学部卒業。ミュンヘン大学演劇学専攻。慶應義塾大学社会学研究科博士課程修了。ハンブルク大学パフォーマンス・スタディーズセンター客員研究員。専門は、感情社会学、障害学、アートベース・リサーチ、パフォーマンス・エスノグラフィなど、著作としては『感情を生きる〜パフォーマティブ社会学へ』(慶應義塾大学出版会、2014年)『感情資本主義に生まれて〜感情と身体の新たな地平を模索する』(慶應義塾大学出版会、2013年)、『生の技法〜家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(第3版文庫版 生活書院、2012年)、『黒板とワイン〜もうひとつの学び場「三田の家」』(慶應義塾大学出版会、2010年)、『ホモ・アフェクトス〜感情社会学的に自己表現する』(世界思想社、1998年)などがある。

辻佐保子(早稲田大学)「ベティ・コムデン&アドルフ・グリーン作品における複製メディアの機能とその変容についての考察? ブロードウェイ・ミュージカルに生じた『ライブ×メディア』の転換を背景として」

ブロードウェイ・ミュージカルにおけるライブ・パフォーマンスと複製メディアとの関係は、1960年代後半から1970年代にかけて大きく変化していく。ロック・ミュージカルの勃興を皮切りに、電子サウンドが本格的に取り込まれ、劇場へのスピーカー設置が進行し、マイクの使用も常態となる。複製メディアの導入によって、ブロードウェイ・ミュージカルにおける「ライブ×メディア」のあり方やライブ性という概念はどのように変容や再検討が迫られたのだろうか。

本発表では、脚本家・作詞家のベティ・コムデン&アドルフ・グリーンに光をあて、作中に登場する複製メディアの機能分析を通して、「ライブ×メディア」を巡る時流の変化に際した同時代的な反応を浮き彫りにすることを目指す。具体的には、『フェイド・アウト ? フェイド・イン』(1964)、『アプローズ』(1970)、『雨に唄えば』(1985)を取り上げて、身体性の強調から、現前する身体の「正統性(オーセンティシティ)」の相対化と強化へと複製メディアの機能が変化し、併せてライブ・パフォーマンスとしてのあり方が問い直されていることを、上述の時流の変化との結びつきを指摘しながら明らかにする。

(なお発表では触れないものの、当該時期には上演映像のアーカイブ化やトニー賞授賞式のテレビ放送も開始する。可能であれば、演劇映像を巡る可能性や限界、諸問題は発表後のダイアローグで触れたい)

辻佐保子(つじさほこ)早稲田大学文学研究科助手・博士後期課程在籍。専門はアメリカン・ミュージカルとミュージカル映画。論文:「ミュージカル『特急二十世紀号に乗って』における楽曲の機能 – スクリューボール・コメディからの翻案という背景を踏まえて」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』(2014年、59号第3輯)、「電話・俳優・「パフォーマティブ」な演劇のモード – ミュージカル『ベルがなっている』論」『表象・メディア研究』(2013年、3号)、「”Time is Precious Stuff” – ミュージカル『オン・ザ・タウン』における時間表象についての考察」『演劇映像学』(2013年)

田ノ口誠悟(早稲田大学)「近現代演劇における「ライブ性」を拡張した諸表現について—フランスの例を中心に」

本シンポジウム「ライブ×メディア—演劇と映像の関係性をめぐって」は、「芸術作品」としての演劇を長らく条件づけてきた「ライブ性」「現前性」という美的概念を相対化し、これまでの演劇を見直してみようとするものといえる。インターネットの発達によって「劇場にいない観客(ウェブカメラの向こうの観客)」という現象が生じ、なにを持って演劇体験とするかが問題となっているのである。

私は、この問題提起について、特にフランス近現代演劇を例にして考えてみたい。まず、「演劇はライブの芸術である」という視点が比較的最近批評家の間で生まれた美学の一つに過ぎないことを指摘する。そのうえで、「ライブとしての演劇」という視点からはみ出る(それゆえ従来の演劇史においてはさほど尊重されなかった)事例をいくつか紹介する。考えてみれば、アルフレッド・ド・ミュッセの「肘掛け椅子の演劇」からステファン・ケーギの「携帯電話の演劇」まで、欧米においては実に多くの演劇人がさまざまなメディアを使って演劇のライブ性の範囲を広げてきたのである。

田ノ口誠悟(たのくちせいご)早稲田大学大学院文学研究科博士課程在籍。専門:二十世紀フランス演劇、主な論文:「演劇とデモクラシー——政治的言論生産装置としてのジャン・ジロドゥ『ジークフリート』」、『フランス語フランス文学研究』(日本フランス語フランス文学会)103号。

2015年度10月例会のお知らせ

2015年度 西洋比較演劇研究会 10月例会のお知らせ

後期最初の例会を以下の日程で行います。
若手研究者によるシンポジウムです。ぜひ奮ってご参加ください。

日時:2015年10月10日(土)14:00?18:00
会場:成城大学 3号館 1F  312教室
内容:シンポジウム「演劇の近代化と俳優術の変容」

1. 新沼 智之:西洋演劇における演技の近代化の変遷
2. 奥 香織:タルマの舞台実践にみる俳優術の変容とフランス演劇の近代化」
3. 村島 彩加:明治・大正期の日本演劇における狂気の表現−演劇写真を手掛かりとした一考察−

コメンテーター:神山彰
司会:山下純照

【趣旨】
近代演劇は19世紀末、リアリズムや自然主義の文脈あるいはその影響下で成立する。
一つの美学的・芸術的視点によって舞台を統一しようとする意志のもと、演出家が登場するのもまたこの時代である。しかしながらこれらの事象は突然現れたものではない。その萌芽が、例えば18世紀の市民劇やディドロの理論にみられることは知られているが、実践の場においてもまた、前段階としてさまざまな試みが行われていた。

例えばドイツでは、エクホーフやイフラントの演技や劇団統制がアンサンブル演技に先立つものとして存在する。フランスでは、18世紀中葉から、より自然な朗唱、物語の世界に即した衣装が探求され始める。一方、日本演劇においても、近代以降の俳優の表現方法に見られる変容の萌芽は、前近代に見出すことが可能である。しかし、それが近代以降にどのように実現されていったのかは、当時の文脈をふまえた上で、「前近代」の表現方法との比較をすることで、真に明らかにすることができると考えられる。
演劇史をあくまでも流れとして捉える中で、近代演劇もまた固定したものではなく、継続的な変化を遂げながら、しかしそれでいて何らかのイメージをもって演劇の在り方を把握するための道具概念として理解され得る。それによって、例えばポストモダンへの眼差しが可能になるわけであるが、本シンポジウムでは逆に近代演劇というゴールを設定してみることで、それ以前の演劇史がどのように描き出されるかを、ドイツ、フランス、日本を主たる研究対象とする三名が、演技を中心に考えてみたい。時にないがしろにされがちな「前近代」をしっかりと把握することは、近代演劇へと新たな眼差しを向ける機会ともなるのではないか。

【発表1】
発表者:新沼 智之
題目:西洋演劇における演技の近代化の変遷

発表要旨
「アンサンブル演技」は西洋演劇の近代化における演技のあり方の一つの到達点と言えるだろう。本発表では、18世紀半ばにまでさかのぼり、そこから19世紀末に完成する「アンサンブル演技」をゴール地点として、演技の近代化の変遷を概観したい。そこで、発表者が主張したいことは、「アンサンブル演技」が完成するまでに4つの段階を経たということである。
第1段階は、古典主義から市民劇への移行における劇作上の変化である。18世紀の半ばに登場した散文の市民劇では、ト書きが多く書き込まれるようになり、俳優はそれを身振り・表情を使って演じることが要求されるようになる。そしてそれはすぐさま、戯曲に書き込まれていない身振り・表情が俳優主導で増大していくという第2段階に入る。
ここで取り上げたいのが、対話者の台詞を「聞く演技」である。さらに、その「聞く演技」が拡張するかたちで第3段階に至る。すなわち、集団演技への意識が生まれる段階である。ここで「アンサンブル演技」という演技のあり方がはっきりと目指されるようになっていく。その主導的役割を担ったのがザクセン=マイニンゲン劇団であるのは言うまでもない。そして最後の第4段階としてスタニスラフスキーのモスクワ芸術座を挙げねばならない(ただ、それはそれまで定着してこなかった、以上に列挙してきたことがらを徹底的に実践し根付かせたとまとめることができ、歴史的には極めて重要なことではあるが、いわば質的向上にすぎないと言えるので、今回は—— もちろん念頭には置くが——特に深入りはしないことにする)。

プロフィール
明治大学ほか非常勤講師。研究テーマはドイツを中心とする西洋演劇の近代化のプロセス。論文に「A.W.イフラントが目指した舞台づくり——視覚的要素の問題を中心に」『演劇の課題2』(三恵社、2015年)、「18 世紀後半のドイツにおけるアンサンブル演技理念の萌芽と劇団規則」『西洋比較演劇研究』(Vol.12 No.2、2013年)ほか。

【発表2】
発表者:奥 香織
題目:タルマの舞台実践にみる俳優術の変容とフランス演劇の近代化

発表要旨
フランスでは、特に18世紀後半以降、演劇の近代化が進む。舞台上の客席の廃止によって演技空間が広がり、上演に求められるスペクタクル性も変容していく。こうした中で登場する俳優タルマは、一世代前からルカンやクレロンによって試みられてきた衣装や演技(朗唱)の改革を土台とし、実践面におけるさらなる改革を試みる。
タルマは衣装を史実に基づいたものにしようと努め、朗唱から約束事を排除することで、舞台の「リアリズム」を探求する。しかしながら「自然さle naturel」という語を用いて表現される演技は、絵画や版画、同時代人の証言を参照すると、実際には様式化され、誇張されたものである。また、改革の試みは基本的に古典悲劇の枠内で行われ、演劇観の根底にあるものも伝統的な模倣観である。これらの点には伝統と革新の間で揺れ動く俳優の姿が見受けられるが、この両義性にこそ、近代化の過程にあるフランス演劇の在り方、古典主義的な上演空間から逸脱しようとする姿を見出すことができるのではないか。
本発表では、舞台の近代化という観点から重要であるタルマの試みに光をあて、伝統的な部分、革新的な部分を浮き彫りにしつつ、タルマが求めた「リアリズム」、彼自身が強調した「自然さ」とはいかなるものであったのかを明らかにしたい。改革を可能にした社会背景、当時の思想との関係も検討したいと考えている。

プロフィール
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得退学、パリ第4大学博士課程修了。現在、日本学術振興会特別研究員、早稲田大学ほか非常勤講師。専門はフランスの舞台芸術、日仏演劇交流。現在の主な研究対象は18世紀フランスの舞台実践、演劇美学。論文:「マリヴォーにおける「露呈」の演劇性」(『日仏国際シンポジウム 演劇と演劇性』、早稲田大学演劇映像学連携研究拠点、2014)、「ルサージュの初期作品にみるアルルカンの表象」(『西洋比較演劇研究』 Vol.14 No.2、西洋比較演劇研究会、2015)など。

【発表3】
発表者:村島 彩加
題目:明治・大正期の日本演劇における狂気の表現−演劇写真を手掛かりとした一考察−

発表要旨
明治30年代後半、俳優の演技において「表情」の重要性を指摘する声が高まるのと同時期に、演劇写真においても、俳優の「表情」をとらえることに眼目を置いた写真が撮影されるようになる。本報告では、それらの写真の中でも「狂気」の表情をとらえたものに注目する。
当該時期に「狂気」の表情を捉えた写真が目につくようになる背景には、それをモティーフとした作品の上演があることは言うまでもない。近代以前より、日本演劇において「狂気」は重要な モティーフであったが、その表現には定型、約束事があった。しかし、明治維新以降、心理学・精神科学の隆盛とともに、一般社会における「狂気」の概念が変化し、「狂人」とされる者の扱いには変化が起こっていた。そうした時流の中で、俳優たちは「狂気」をどのように表現しようとしたのか。
本報告では、五代目尾上菊五郎とその息子である六代目が共に扮した『水天宮利生深川』船津幸兵衛役における狂気の表現の工夫の違いや、帝劇女優・森律子が扮した『遺伝』(益田太郎冠者作)おかよ役の役作りを例に考察すると共に、近代以前・以後で劇作家(狂言作者)たちが「狂気」をどのように描いたのかという相違点も、複数の作品を挙げて検証し、その表象の一環として、演劇写真がどのような役割を果たしたのかも併せて考察したい。

プロフィール
明治大学大学院文学研究科演劇学先行単位取得退学。現在、日本学術振興会特別研究員(PD)、明治大学兼任講師。専門は近代日本演劇(演劇写真、歌舞伎の近代化、宝塚)。最近の論考に「七代目松本幸四郎の「変相」研究とその周辺—舞台化粧指南書Making Upからの影響を中心に—」『西洋比較演劇研究』Vol.11 No.2(日本語版、2012)、「近代歌舞伎と宝塚歌劇の交流」『歌舞伎と宝塚歌劇—相反する、密なる百年—』(開成出版、2014)、「演劇写真研究の泰斗・安部豊の仕事—その成果と活用をめぐって—」『演劇の課題2』(三恵社、2015)がある。

分科会紀要『西洋比較演劇研究』第15号投稿受付のご案内(締切2015年11月1日)

本分科会では現在、紀要『西洋比較演劇研究』第15号への投稿を受け付けています(同号より、「論文」と「研究ノート」の二つの枠が設けられました)。投稿締切日は2015年11月1日です。過去の例会で発表された方を始め、多数の方々からの投稿をお待ちしています。投稿規定・執筆要領については「『西洋比較演劇研究』投稿規定・執筆要領」をご参照ください。

西洋比較演劇研究会5月例会のお知らせ

日時 2015年5月16日(土)14:00-18:00
場所 成城大学3号館3F 大会議室

今回は紀要『西洋比較演劇研究』について、最新号の論文合評と、「Vols.11-14 を振り返る」の二本立てとなります。

1.
『西洋比較演劇研究』Vol.14 合評会 14:00- 16:00

本会紀要『西洋比較演劇研究』第14巻第1号(英語)・第2号(日本語)に掲載された論文の合評会です。これまでも同様の合評会を何度か行なって参りました。紀要がウェブ上公開となってからは、2回目となります。それぞれ内容を要約することなく、ただちに各30分ほどの質疑応答をおこないたいと思います。ご参会予定の方は、ぜひともリンク先から論文をダウンロードして読んでおいでください。

全体司会:萩原健

Fumio Amano, “Zeami’s Poetics as Manifested in Tôru
討論者: 毛利三彌

Akihiro Odanaka, “Revenge and the Marketplace: A Study of Chikamatsu Hanji’s Travel Game while Crossing Iga
討論者:井上優

奧香織「ルサージュの初期作品にみるアルルカンの表象
討論者:安田比呂志

鈴木美穂「憑依のダイナミックス——演劇論としてのキャリル・チャーチル『小鳥が口一杯』
討論者:小菅隼人

2.
「『西洋比較演劇研究』Vols.11-14 を振り返る」 16:15-18:00

次号より編集部の交代を控え、電子化・ウェブ上公開をはたした11号(2011年)からの内容や編集方針についての検討を行います。

司会:小田中章浩
討論者:山下純照、日比野啓

西洋比較演劇研究会2015年度4月総会・例会のご案内

日時 2015年4月11日(土)午後2時〜6時

場所 成城大学3号館3F

http://www.seijo.ac.jp/access/index.html
3号館は、正門から中庭に進んで左側の建物です。

総会 午後2時〜3時

運営委員の一部交代、2014年度活動および会計報告、2015年度計画および予算などが議
題となります。

例会 午後3時15分〜6時

講演1 小菅隼人「PSi #21 Fluid States 2015 Tohokuの開催について」

講演2 山下純照「PS=パフォーマンス・スタディーズを意識した演劇研究の可能性」

*終了後、懇親会を行います。どうぞご参会ください。

西洋比較演劇研究会1月例会のお知らせ

気鋭の若手、充実の中堅による発表3本です。
いつもと時間帯が異なりますのでご注意ください。

日時 2015年1月10日(土) 13:30~18:30
会場 成城大学7号館 731教室

研究発表 
1 關智子 (発表13:30~14:20、質疑応答14:20~15:10)
2 大浦龍一(発表15:20~16:10、質疑応答16:10~16:50)
3 譲原晶子(発表17:00~17:50、質疑応答17:50~18:30)

論題+発表要旨+プロフィール

研究発表1 關智子:「挑発のドラマトゥルギー:サラ・ケインの戯曲に通底する「演劇性」」

発表要旨(*なお発表者からメッセージがあります。プロフィールの下をご覧ください)
 サラ・ケインは90年代のイギリスを代表する劇作家である。1991年の処女作発表から99年に自殺するまでの9年間の間に8本の戯曲を遺しており、彼女の作家人生の短さにもかかわらず、それらの形式は大きく変化している。既に個々の作品については多くの分析がなされており、またそれぞれの相違についてはしばしば指摘されるものの、何がケインの作品すべてに共通しており、それがどのように重要であるのかということについての研究はいまだ不十分だと言わざるを得ない。
 そこで本発表ではケイン作品のドラマトゥルギーに焦点を当て、その核の抽出を試みる。具体的には、最初期のモノローグ作品集『病』(未出版)から遺作『4時48分サイコシス』までの戯曲をいくつかの視点から分析し、それらに通底するケインの問題意識について考察する。この分析により、ケインの作品を貫いているのは観客に対するなんらかの働きかけであることがわかり、さらにこの観客への指向性こそが、(特に後期の)およそ上演を前提としているとは思われないテクストでさえも、演劇のために書かれたテクストであることを保証していると考えられる。そしてこのことから、まったく別種であるように思われる「イン・ヤー・フェイス演劇」と「ポストドラマ的」なテクストの間に共通点を見出すことができるだろう。
 以上のように本研究は、ケインの作品の根底には常に観客を目指す工夫があることを指摘し、またケインのドラマトゥルギー分析によって90年代以降の英戯曲に見られる大きな変化を理解する手がかりを得ることを試みるものである。

プロフィール
關智子(せき・ともこ)。日本学術振興会特別研究員(DC2)。早稲田大学大学院文学研究科博士課程。専門は90年代以降のイギリス戯曲。国際演劇評論家協会会員、演劇批評ウェブマガジン「シアターアーツ」編集部員。「不在の登場人物と創造=想像力のメカニズム―マーティン・クリンプ『彼女の生に対する試み』論―」(『演劇学論集日本演劇学会紀要57』、2013年)、『ポストドラマ時代の創造力』(藤井慎太郎監修、白水社、2013年、編集補佐)他。

発表者からのメッセージ:参考文献について

既にお読みいただいた方には誠に恐縮ではございますが、お知らせいたしました参考文献は分量が多いため、まだお読みでない方は、『ポストドラマ演劇』の「プロローグ」(pp.15-32)および「テクスト」(pp.193-206)、In-Yer-Face Theatreの‘What is in-yer-face theatre?’(pp.3-30)および‘Sarah Kane’(pp.90-117)を最低限お読みいただければと存じます。ご連絡が遅れましたことをお詫び申し上げます。

上記メッセージは、11月12日付けで流しました内容についてです。念のため再度掲げます:

西洋比較演劇研究会員の皆様へ
 例会企画担当からお知らせです。12月13日例会のあと、来年1月10日例会ではお三方の研究発表を予定しています。正式な通知は12月半ばになりますが、このたび、例会担当から発表者にお願いして、会場での議論の参考となる基本資料を早めにご教示いただきました。
 もとより、これは発表そのものをお聞きになる上での条件として示していただいたものではありません(発表部分については、これまで通りです)。質疑応答が、よりかみあったものとして充実することを期しての新しい試みです。どうぞご参考になさってください。

2015年1月例会 ―― 基本文献・資料 ――
大浦龍一氏
Shaw, Bernard, You Never Can Tell, Plays Pleasant, ed. Dan H. Laurence, London: Penguin Books, 2003. (Penguin Classics)
or Project Gutenberg,
https://www.gutenberg.org/files/2175/2175-h/2175-h.htm

關智子氏
ハンス=ティース・レーマン『ポストドラマ演劇』谷川道子、新野守弘、本田雅也、三輪玲子、四ツ谷亮子、平田栄一朗訳、同学社、2002年。
Sierz, Aleks, In-Yer-Face Theatre: British Drama Today, London: Faber and Faber Ltd, 2001.

譲原晶子氏
Yuzurihara, Akiko, “Kylián’s space composition and his narrative abstract ballet” Theatre Research International 38:3.
可能なら次のDVDも。
Jiri Kylian, black & white ballet, Arthaus Musik GMBH.

研究発表2 大浦龍一「松居松葉とバーナード・ショー ―文芸協会公演『二十世紀』を中心に―」

発表要旨
バーナード・ショーが1895年12月から翌96年5月にかけて執筆した7作目の戯曲 You Never Can Tell は、1899年11月にthe Stage Societyによって初演された。しかし、この作品は本来商業劇場での上演を目論んで書かれたものだが、実現しなかった。この作品が世間的に注目されるようになったのは、1906年のグランヴィル・バーカーによるコート座での上演であった。バーカーは興行師ヴェドレンと組んで1904年から1907年にかけてコート座で商業劇場では上演の機会の少ない作品の連続上演を行っていた。合計32作のうち11作がショーのものだった。このコート座でのYou Never Can Tell上演の観客席に二代目左団次と外遊中の松居松葉の姿があった。
それから6年後の1912年11月、松葉は文芸協会の有楽座公演ためにYou Never Can Tellを『二十世紀』という題で翻訳し、自身で演出した。実はこれは彼が手がけた最初のバーナード・ショー作品ではなく、すでに同年6月に『運命の人』The Man of Destinyの演出をしていた。しかし、そのときの翻訳は楠山正雄であり、協会の試演場での試演であった。そして、『二十世紀』は一幕物の『運命の人』と異なり、四幕の本格喜劇であった。また、松葉の演出による最初の文芸協会公演であった。松葉にとっては、彼が吸収してきた英国エドワード朝演劇のエッセンスを発揮できる機会だったはずだ。
ところが、当時の劇評を読むとあまり芳しいとはいえない。文芸協会内部での坪内逍遥派と島村抱月派の対立などの裏事情も含め、この公演の問題点を考察したい。

プロフィール
大浦龍一(おおうら・りゅういち)。明治大学文学研究科博士課程単位取得退学。現在、大阪芸術大学通信部講師。日本バーナード・ショー協会事務局長。専門は英国ヴィクトリア・エドワード朝演劇、共著:『バーナード・ショーへのいざない』日本バーナード・ショー協会編(文化書房博文社、2006)、論文:「女神の黄昏―晩年のパトリック・キャンベル夫人―」(『バーナード・ショー研究』12号、日本バーナード・ショー協会、2011)、「日本演劇におけるバーナード・ショー元年」(『バーナード・ショー研究』13号、日本バーナード・ショー協会、2013)など。

研究発表3 譲原晶子「イリ・キリアンの舞台外空間――奥行きの闇と舞台袖」
発表要旨
 イリ・キリアン(1947- )は現代を代表するバレエ振付家として知られている。一晩ものの物語バレエよりも小品を得意とするこの巨匠の作風について、舞踊学者セイヤーズは「非物語劇的バレエnon-narrative dramatic ballet」――すなわち、明確な物語はもたないがドラマティックな表現性をもつ作品――と評し、また彼の『詩編交響曲』(1978)と『墜ちた天使』(1989)の「熟練した群舞操作の類似性」について指摘している。本発表では、この2作の他に『結婚』(1982)、『かぐや姫』(1988)、『サラバンド』(1990)、『プチ・モール』(1991)を含む彼の初期から中期にかけての作品群において、手法と呼ぶべきある共通の群舞デザイン・システム(あるいは空間構成システム)が使用されていることを指摘する。(この手法は、オハッド・ナハリン、ナチョ・デュアトなど他の振付家の作品にも利用されているのが観察できる)。論者はこの手法を「点―線―面の手法」と名付け、この手法がもつ意味と機能を検討する。
 考察で着眼することのひとつに、「ダンサーが舞台に登場、退場するとき方向」の問題がある。上記の作品は、作品中のダンサーの出入りは総じて少なく、出入りがある場合には舞台袖よりも舞台背景の「闇」が利用されており、作品全体としても舞台空間の「幅」よりも「奥行き」が活用されようとしている、という特徴が共通してみられるのである。一方キリアンの作品には、『シンフォニー・インD』(1976)など、これとは正反対の作品、すなわち、作品中のダンサーの出入りが激しく、舞台袖のみから登退場し、舞台空間の「幅」がフルに活用される作品も見られる。これら二つのタイプの作品を比較することで、キリアンの「舞台空間」(より正確にいえば「舞台外空間」)に対する考え方を読み解いてゆきたい。
 これらの考察を踏まえてさらに、『かぐや姫』の空間構成について分析する。『かぐや姫』はキリアンには異色の一晩もの物語バレエである属するが、やはり「非物語劇的バレエ」の様相を帯びている作品である。この作品も、「点・線・面の手法」を使って構成されているが、これによってキリアンが、筋書きを通してよりも空間を通して物語を構成しようとしていることを論証する。また、本発表の本筋からははずれるが、『かぐや姫』という「日本最古の文学作品」に取材するバレエ作品のグローバル化にまつわる問題についても言及したい。

プロフィール
譲原晶子(ゆずりはら・あきこ)、千葉商科大学教授。主要著書にAnne Woolliams: method of classical ballet (Kieser Verlag, 2006),『踊る身体のディスクール』(春秋社, 2007)、最近の主要論文に、’Kylián’s space composition and his narrative abstract ballet’, Theatre Research International, 38:3 (2013);メネストリエのバレエ理論からみたノヴェール―『舞踊とバレエについての手紙』(1760)における借用をめぐって,『美学』244号,2014;”Historical and contemporary Schrifttanz: Rudolf Laban and postmodern choreography” Dance Chronicle, 37:3 (2014) などがある。

西洋比較演劇研究会12月例会のお知らせ

連続シンポジウム「スタニスラフスキーは死んだか?」第3回・総括:ラウンド・テーブル・セッション

日時 2014年12月13日(土)14:00-18:00 場所 成城大学3号館大会議室

司会 日比野啓(成蹊大学准教授)

ディスカッサント 井上優(明治大学准教授)・新沼智之(明治大学非常勤講師)・毛利三彌(成城大学名誉教授)・安田比呂志(日本橋学館大学教授)・山下純照(成城大学教授)[五十音順]

西洋比較演劇研究会では、連続シンポジウム「スタニスラフスキーは死んだか?」を、これまで以下のように二回実施してきました。

2012年12月例会「スタニフラフスキー・システムの歴史的検証」(講師:浦雅春・堀江新二)
告知:西洋比較演劇研究会公式サイト
概要:『西洋比較演劇研究』第12巻第2号「例会報告」

2013年12月例会「日本におけるスタニフラフスキー」(講師:藤崎周平・笹山敬輔)
告知:西洋比較演劇研究会公式サイト
概要:『西洋比較演劇研究』第13巻第2号「例会報告」

最終年度となる今年度は、専門家をお招きしてその研究成果を伺うかわりに、これまで議論されてきた内容をもとに、西洋比較演劇研究会の会員有志によるラウンド・テーブル・セッションを行い、三年間の総括を行います。

ラウンド・テーブル・ディスカッションの進行次第を以下のように変更します。直前の変更は望ましいものではないですが、聴衆のみなさまのより広汎な理解が得られ、結果としてフロアからのディスカッションが盛り上がることを期待して、苦渋の決断をいたしました。ご寛恕いただければ幸いです。

進行次第

第一部:スタニスラフスキー・システム基本概念の批判的検討(約60分)
第二部:司会からの『俳優の仕事』の「新しい」読み方の提案(約60分)
(休憩)
第三部:ディスカッサントによる議論:スタニスラフスキー・システムの現在における有効性(約60分)
第四部:フロアからの議論・まとめ(約60分)

議論を発展させるために当日に配布する資料として「第一部レジュメ」(日比野)「第二部レジュメ」(日比野)および「スタニスラフスキイについて」(毛利)という三点のPDFファイルをあらかじめアップロードしておきました。事前に目を通しておいていただければ幸いです。

第一部:基本概念の批判的検討(約60分)
多様な解釈を許容する、矛盾をはらんだテクスト=「古典」としての『俳優の仕事』という前提をもとに、ディスカッサントおよび司会が、スタニスラフスキー・システムの基本概念(の一部)を説明し、その内実を批判的に検討します。新訳における訳語の適切さや、スタニスラフスキー自身の用語使用の「揺らぎ」についても言及されることになるでしょう。

[担当概念:担当者(変更の可能性あり)]

  1. 魔法の<もしも>・与えられた状況:井上
  2. 注意の対象(光の輪)・交感[交流]:安田
  3. 断片と課題・ポドテクスト:山下
  4. 「我あり」・適応・舞台における内的な自己感覚:日比野
  5. 貫通行動[一貫した行動]・超目標[究極課題]:新沼
  6. 身体的行動:毛利

第二部:司会からの『俳優の仕事』の「新しい」読み方の提案
21世紀の現在から、ほぼ百年前のテクストである『俳優の仕事』に書き込まれたイデオロギーや「偏向」について検討します。といっても、それは「あと知恵」でスタニスラフスキーを批判するためではなく、今スタニスラフスキーをアクチュアルなものとして読むために必要な「構え」を共有するためです。具体的には、以下の6点についてお話します。

  1. リアリズム=「持続する時間」の表象
  2. 科学主義
  3. 機械論的人間観
  4. 主体の統一性という神話
  5. 折衷主義
  6. 観客の観劇態度を教育するものとしての『俳優の仕事』

第三部:ディスカッサントによる議論:スタニスラフスキー・システムの現在における有効性
第一部・第二部で話し合われたことを受けて、スタニスラフスキー・システムの現在における有効性をディスカッサント間で自由に議論を行います。昨今の上演作品(国内・海外)における成功例・失敗例なども具体的に取り上げられることになるでしょう。

第四部:フロアからの議論・まとめ
第一部から第三部で話し合われたことを受けて、フロアから質問・疑問を受けつけ、必要があればディスカッサント・司会を交えて議論を行います。最後に司会がまとめを行い、今後のスタニスラフスキー・システムの活用の見通しを語ります。

具体的にはまず、以下の問いについてディスカッサントおよび司会がそれぞれ自分なりの「答え」を持ち寄ります。「筋書」のないセッションですが、答えの根拠の正当性を互いに問い質すことを通じて、スタニスラフスキー・システムの理解を深めることをめざします(約120分)。

  1. 日本において、サブテクストや「魔法のもし」といった、スタニスラフスキーがその著書で提唱し、それ以降の俳優訓練や公演に向けての舞台稽古で——ときとしてスタニスラスキー由来であることが余り意識されずに——用いられ、普及してきた方法論がある一方で、究極課題[超目標]のような、今ではあまり用いられなくなってしまった方法論もある。後者は、なぜ省みられなくなったのか。演技についての私たちの認識が変わったからなのだとすれば、それはどう変わったからなのか。
  2. スタニスラフスキー・システムが近年の上演(国内および海外)でも有効であるとしたら、それはどんな点なのか。スタニスラフスキー・システムによる訓練/舞台稽古の成果があった、と考えられる近年の上演にはどのようなものがあったか。
  3. スタニスラフスキー・システムが観客と観劇態度に及ぼした影響はあるか。観客論の見地からスタニスラフスキー・システムを論じることは可能なのか。

つぎに、ディスカッサントはみな演技論に関心がある研究者ですが、スタニスラフスキーを専門に研究している人間はいません。専門とする分野も、イギリス演劇・ドイツ演劇・アメリカ演劇・北欧演劇と様々です。そうした「外部」の視点から、スタニスラフスキーはどのように見えてきたのか、ということについても互いの認識をすり合わせたいと考えています。当然それは、スタニスラフスキー・システムの「普遍性」の議論にもつながるはずです。スタニスラフスキーが考えていたリアリズム、そしてスタニスラフスキーが直接対峙していた二十世紀の変わり目のロシア演劇という「限界」を超えて、現在私たちが考えるリアリズム、そして世界演劇(とりわけ日本演劇)でスタニスラフスキー・システムをどう使うか、あるいはどう使えないか、について、自由に議論していただきます(約60分)。

最後に、フロアからも積極的に議論に参加いただき、これまで出てきた問題を別の角度から検証し、これまで論じられなかった話題について整理し、将来への展望につなげます(約60分)。

会員のみなさんはふるってご参集ください。また非会員のかたのご見学も歓迎します。当日お名前と(あれば)所属をお書きいただくだけで、事前のご連絡は不要です。

西洋比較演劇研究会10月例会のお知らせ

後期第一回の例会を以下の通り、開催いたします。お忙しい折かと思いますが、ご参集くださいますようお願い申し上げます。

日時 2014年10月4日(土)14:00-18:00
場所 成城大学3号館3F 大会議室

1 研究発表 田ノ口誠悟 14:00-15:50
「ルイ・ジューヴェの演劇美学がはらむ政治的モチベーションについて」

 近年、フランスの演出家グループ「カルテル」の一人で、20世紀前半の欧米を代表する演劇人ルイ・ジューヴェ(Louis Jouvet, 1887-1951)の仕事の見直しが行われている。ジューヴェはこれまで、その師であるジャック・コポーと同じく、戯曲・テクストを重視する演劇の提唱者、実践者と見なされてきた。しかし最近、大戦間期という彼が特に活躍した時代の文化的・社会的ダイナミズムの潮流の中でその仕事を捉え直す気運が高まっているのである。例えば、ジューヴェの未発表の演劇論を検証し、その演劇活動を、諸芸術・技術の超領域的混淆の時代であった大戦間期に特有の、実験的な手法を多用したスペクタクルの構想・実現過程として読み替える提案をしたエーブ・マスカローの研究は記憶に新しい(Louis Jouvet, introduction et choix de textes par Eve Mascarau, Paris, Actes Sud-Papiers, coll. « Mettre en scène », 2013)。
 本研究発表も、このような「大戦間期とジューヴェ」という視点に基づくものである。具体的には、芸術・演劇がかつてなく政治化した時代でもあった当時におけるジューヴェのポジションを探ることを目的とする。大戦間期においては、ロシア共産革命や第一次世界大戦といった未曾有の事変が、社会のあり方と向き合う作品を作らねばならないという問題意識を芸術家達にかき立て、演劇の領域においても、問題演劇やプロレタリア演劇、民衆演劇といった傾向的な表現が趨勢を占めた。
 このような政治化する演劇シーンの中に組み込まれるものとしてジューヴェの演劇活動も理解されうるのではないか。本発表では、この「政治的演劇人ジューヴェ」という構想の第一段階として、彼の演劇論に読み取られる政治演劇の理念を明らかにする。

発表者プロフィール:たのくち せいご
早稲田大学文学研究科博士後期課程、パリ西大学視覚芸術学研究科演劇コース博士課程在学中。2010-2011年度フランス政府給費留学生ののち、日本学術振興会特別研究員(DC2, 2012-2014年)。2011年パリ西大学演劇学研究科修士課程修了。専門:民主主義体制下のフランスおよび日本における「政治的であること」を標榜した舞台芸術の歴史・理論の研究。

主な研究業績:① « Le théâtre politique sur papier : une étude sur le rapport entre les drames giralduciens publiés et leur public », in Simona JISA et alii (dir.), Jean Giraudoux : écrire/décrire ou le regard créateur, Casa Cărţii de Ştiinţă, actes du colloque international 9-12 mai 2013, Cluj-Napoca, Université Babes-Bolyai, décembre 2013, pp. 47-54. ②「演劇とデモクラシー――政治的言論生産装置としてのジャン・ジロドゥ『ジークフリート』」、『フランス語フランス文学研究』103号、pp. 217-232, 2013年。③「ジャン・ジロドゥの《人民演劇論》」、『西洋比較演劇研究』、Vol. 12 No. 2, pp. 162-173, 2013年。

2  合評会16:00-18:00
本会紀要『西洋比較演劇研究』第13巻第1号(英語)・第2号(日本語)に掲載された何本かの論文の合評会です。これまでも同様の合評会を何度か行なって参りました。紀要がWeb上公開となってからは、初めてとなります。執筆者の居住状況やスケジュールとの関係で、調整した結果、今回は次の4本のみについての合評会となります。それぞれ内容を要約することなく、ただちに各30分ほどの質疑応答をおこないたいと思います。ご参会予定の方は、ぜひとも論文を読んでおいでください。

英語論文
“Revolutionary Theatre” or “Syncre-Theatre”: Derek Walcott’s Walker (2002) and the Representations of Temporality. Yuri SAKUMA (p.39-54)
PDFファイルでの論文ダウンロードはこちら

Derek Walcott: A Caribbean ‘National Theatre’ vs. Neo-Colonialist Tourism.
Chihoko MATSUDA (p.69-81)

PDFファイルでの論文ダウンロードはこちら

日本語論文 
ミュージカルThe Mystery of Edwin Drood における劇中劇構造と歌の劇的意義の分析
藤原 麻優子 (p.94-107)
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境界を内破する ─キャリル・チャーチル『トップ・ガールズ』における身体
鈴木 美穂 (p.108-119)
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執筆者紹介(刊行時点)はこちら

問い合わせ 山下純照 y3yamashあっとまーくseijo.ac.jp

西洋比較演劇研究会7月例会のお知らせ

本会ならではのシンポジウムを開催します。ご来場をお待ちしています。

シンポジウム:「18世紀ヨーロッパにおけるアルレッキーノの変容」

日時:2014年7月19日(土)14:00〜18:00
会場:成城大学3号館3F大会議室
司会:安田比呂志

発表:
奥香織「18世紀パリの縁日芝居におけるアルルカンの表象——ルサージュの作品を中心に」
安田比呂志「18世紀イギリスにおけるハーレクィンの変容——2作のパントマイム『ハーレクィン・ドクター・フォースタス』を中心として」
小林英起子「18世紀ドイツ・ザクセン類型喜劇におけるハルレキーン——クヴィストルプの喜劇における下僕の変容を例として」

趣旨:
ヨーロッパ演劇史の視点からみた場合、18世紀はコンメディア・デッラルテの歴史の中でも非常に興味深い世紀であると言える。18世紀は、コンメディア・デッラルテが上演台本通りの上演を行うことで即興性という本質的な性質を失い、オペラ・コミックとの合併(1762年)によって結果的に演劇史の表舞台から姿を消す世紀である一方で、巡業を通してヨーロッパの各国に根づいていたコンメディア・デッラルテの演劇的特徴が、それぞれの国において独自の展開をみせていた世紀でもあったからである。
ところが、この18世紀のヨーロッパにおけるコンメディア・デッラルテの独自な展開は、たとえばハーレクィン(アルレッキーノ)がその成立過程で重要な役割を果たしたイギリスのパントマイムの場合のように、当時の劇場文化を構成する重要な要素のひとつとなっていたにもかかわらず、その実像が具体的な形で紹介される機会が極めて少ないという現状が、今尚あるように思われる。
そこで今回のシンポジウムでは、コンメディア・デッラルテのヨーロッパにおける独自の展開の様相を明らかにするための第一段階として、コンメディア・デッラルテの様々な登場人物たちの中でも特にアルレッキーノを中心的に取り上げ、18世紀のフランス、ドイツ、イギリスで上演された、アルレッキーノが登場する作品や、そこに登場する役者の演技などを具体的に紹介しながら、それぞれの国にみられたアルレッキーノの変容の性質を検証して行きたい。

奥香織「18世紀パリの縁日芝居におけるアルルカンの表象——ルサージュの作品を中心に」

ルイ14世の時代にパリに定住したイタリア人劇団は1697年に国外追放となるが、イタリア喜劇の「類型」は縁日芝居に取り込まれ、独自に発展を遂げていく。中でもアルルカンは演目のタイトルそのものに頻繁に登場し、さまざまな役で人気を博した。とはいえ、縁日芝居は公権力に認められていなかったために制約も多く、18世紀初頭には対話が禁止されるなどの障害もあった。こうした中で、縁日のアルルカンは、「王の常設劇団」である新イタリア人劇団(1716年に来仏)とは異なるかたちで表象され、発展していく。それは、後のブルヴァール劇のアルルカンへとつながる存在でもある。非公式の場で活躍したアルルカンではあるが、そこには、演劇史における重要性が認められるのである。そこで、本発表では、18世紀初頭のパリの縁日芝居のアルルカンに注目し、その特徴と上演の実態を明らかにする。特に世紀初頭に人気を博したルサージュの作品を中心的に取り上げ、同時代の他のアルルカンとも比較しながら考察を行う。また、制約が多い中でアルルカンがどのように表象されたのか、形式と演技の観点からも検討したい。

プロフィール:
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得退学、パリ第4大学博士課程修了。現在、早稲田大学、明治大学ほか非常勤講師。専門はフランスの舞台芸術(特に18世紀フランス演劇とその現代演出)、日仏演劇交流。論文:「マリヴォーとイタリア人劇団——演劇創造の源泉としての演技」(『西洋比較演劇研究』12号、西洋比較演劇研究会、2013)、「マリヴォーにおける「露呈」の演劇性」(『日仏国際シンポジウム 演劇と演劇性』、早稲田大学演劇映像学連携研究拠点、2014)など。

安田比呂志:「18世紀イギリスにおけるハーレクィンの変容——2作のパントマイム『ハーレクィン・ドクター・フォースタス』を中心として」

1723年、ロンドンで2作のパントマイムが上演された。ジョン・サーモンドの『ハーレクィン・ドクター・フォースタス』と、ルイス・ティボルドとジョン・リッチの『ネクロマンサー、あるいはハーレクィン・ドクター・フォースタス』である。ハーレクィンが主人公のフォースタス博士を演じるこれら2作のパントマイムは、18世紀のロンドンでパントマイムの人気を確立したことで良く知られているが、コンメディア・デッラルテの登場人物たちが、とりわけアルレッキーノがイギリスにおいて経験した「変容」の様相を具体的に示す実例という点でも、非常に興味深い作品となっている。
そこで本発表では、これら2作のパントマイムを中心に取り上げ、それらの上演の様子を可能な限り再現することで、21世紀の現在にまで高い人気を維持しているイギリスのパントマイムの伝統的な特徴を明らかにするとともに、フォースタスを演じるハーレクィンの姿をひとつの頂点とする、18世紀のイギリスにおけるアルレッキーノの受容と変容の様相について検証する。

プロフィール:
日本橋学館大学教授。専門はシェイクスピアを中心とするイギリス演劇。共著に『シェイクスピアの架け橋』(東京大学出版会、1998年)、『新訂ベスト・プレイズ』(論創社、2011)、『日本橋学館大学芸術フォーラム叢書3:18世紀ヨーロッパにおける演劇の展開』(2012)など、翻訳にトマス・オトウェイ作『スカパンの悪だくみ』(『西洋比較演劇研究』第11巻、2012)、ウィリアム・ダヴェナント作『劇場貸出し中』(同、第12巻、2013)などがある。

小林英起子:「18世紀ドイツ・ザクセン類型喜劇におけるハルレキーン——クヴィストルプの喜劇における下僕の変容を例として」

18世紀中葉、啓蒙演劇の中心ライプツィヒではゴットシェートの文芸理論が影響を及ぼしていた。それは道化役を良くは理解せず、スカラムーチェやハルレキーンを厳しく批評するものである。彼を囲む文学サロンに属していたのがクヴィストルプである。道化役追放を演劇改良の旗印とした彼らは、市民階級の主人公を誇張された性格と諷刺で描き、良徳と悪徳を示す類型喜劇を得意とした。
本発表では、クヴィストルプの1740年代の喜劇『牡蠣』、『山羊裁判』、『心気症の男』における下僕の役柄と喜劇性を比較し、コンメディア・デッラルテの影響の痕跡を検討する。クヴィストルプがいかに用心深くハルレキーンを変身させていったのか考察する。
18世紀初頭、即興芝居ハウプト・ウント・シュターツアクツィオーンではピッケルヘーリング等が滑稽役であり、フランス経由でハルレキーンが伝わった。ゴットシェートに翻弄されたノイバー座、組みしなかったハルレキーン役者およびウィーンのハンスブルストについても言及する。

プロフィール:
2009年より広島大学文学部教授。レッシング、ノイバー夫人、ザクセン類型喜劇、ゲーテ喜劇等18世紀ドイツ演劇・演劇史を研究。主書 „Lessings Anfaenge – Die fruehen Lustspiele im Kontext der Zeit.“ Bochum: Projekt Verlag 2003. 翻訳 T.J. クヴィストルプ作『心気症の男』(同学社)2009.

『西洋比較演劇研究』(14:2)投稿募集(締切:2014年10月31日)

『西洋比較演劇研究』は年一回三月末に刊行される、査読付きの電子ジャーナルです。科学技術振興機構が運営する日本最大級の総合学術電子ジャーナルサイトJ-Stageに格納され、無料で閲覧・ダウンロードが可能です。

2015年3月末に公開予定の、第14巻第1号(英文号)および第14巻第2号(和文号)の原稿を募集します。締切は2014年10月31日です。

年会費3000円を支払い、西洋比較演劇研究会の会員になることで投稿資格が得られます(親学会の日本演劇学会に所属する必要はありません)。匿名の査読者は二名あるいはそれ以上で西洋比較演劇研究会会員であるかどうかを問わず、その分野の専門家かなるべくそれに近い研究者が査読にあたります。掲載不可とされた論文については詳細なコメントつきで返却されます。掲載可とされた論文について付された修正意見・参考意見については必要があれば査読者との議論を編集委員会が仲介します。その他詳細は投稿規定・執筆要項をご覧下さい。

2014-15年度編集委員:
小田中章浩(大阪市立大学)
日比野啓(成蹊大学)
山下純照(成城大学)