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西洋比較演劇研究会・2014年度総会および第1回例会のお知らせ

2014年度総会および第1回例会のお知らせです。年度初頭のお忙しい折かと思いますが、奮ってご参加くださいますよう、よろしくお願いします。なお、終了後には簡単な懇親会を行う予定です。こちらも併せてご参加ください。

日時 2014年4月12日(土)
会場 成城大学本部棟3階大会議室
小田急線、成城学園前駅下車(急行可、快速急行は不可)、北口徒歩3分(南口横に交番あり)。
(正門を入って、すぐ左の建物が本部棟。すぐの入り口を入り、エレベーターあり)

14:00-15:00 総会
15:00-18:00 討論「日本での国際舞台芸術祭における諸問題:イプセン演劇祭とフェスティバル/トーキョーを手がかりに」
報告 毛利三彌・萩原健

※終了後、会場にて懇親会を行う予定です。

【報告要旨】
報告1 〈現代イプセン演劇祭〉からの問題点
毛利三彌

(舞台そのものについて詳しく述べることはしないが、見ていない人も多いだろうから、名取事務所のHPに載せた私の演劇祭総括文−各舞台についての私の個人的感想ーを、あらかじめ読んでおいていただけるとありがたい。〈現代イプセン演劇祭総括〉でネット検索すれば出てくる。)
昨年11月から12月にかけて、東京で開かれた現代イプセン演劇祭(「人形の家」特集)では、6つの舞台が上演された。そのうち4つが海外の舞台であったが、そこから出てきた演劇上演に関する問題、すなわち、演技の問題、近代古典劇上演の問題、字幕の問題について思うところを述べたい。
(i)演技の問題
今回の演劇祭で、ノルウェーの女優ユーニ・ダールの一人芝居「イプセンの女たち」の演技に多くの賛辞が寄せられた。彼女は、自分の演技はスタニスラフスキー・システムを土台としていると言っていたが、一昨年度来、スタニスラフスキー・システムの再検討が、研究会のテーマの1つになっていることもあり、彼女の演技が、日本の新劇の演技とどう違っているのか、なぜ違っているのかを考えてみたい。

(ii)近代古典劇上演の問題
4つの海外舞台は、それぞれに演出方針が全く異なっていた。これはイプセンに限らず、近代古典劇現代上演の一般的状況であると思われる。いずれも、私の舞台を含めて、日本の上演とは違った形をとっている。おそらく歴史的事情と社会状況の違いによるものであろう。特に、独裁政権崩壊後のチリの「ノーラ・ヘルメルを追いかけて」の舞台から、それを強く感じた。比べて、日本の演劇状況のたるんでいることも。だがこの論を進めていくと、たるんだ若者を鍛えるために徴兵制度を復活させるべきだ、というような議論になりかねないところもある。

(iii)字幕の問題
海外からの舞台では、一時流行ったイヤホンによる同時通訳方式はほとんど姿を消し、いまは、大半が字幕方式をとっている。だが、多くが十全なものではなく、字幕で舞台の成功不成功が左右されることも少なくない。なかなか解決できない問題だが、実際には、制作上の問題にとどまらず、戯曲翻訳学の重要問題となる可能性がある。外国舞台の映像記録としても考察すべき問題だろう。

このような問題提起に対する出席者の討論を期待したい。

《プロフィール》
毛利三彌(もうり・みつや)。成城大学名誉教授・元日本演劇学会会長。
主な著書編書:『北欧演劇論』、『イプセンのリアリズム』(日本演劇学会河竹賞)、『イプセンの世紀末』、『演劇の詩学』、『演劇論の変貌』(編著)。
主な訳書:『北欧文学史』(共訳)、『講談社世界文学全集 イプセン、ストリンドベリ集』、『イプセン戯曲選集−現代劇全作品』(湯浅芳子賞)
主な演出:イプセン現代劇連続上演(名取事務所1999〜2012)

報告2 フェスティバル/トーキョーとリミニ・プロトコル
萩原健

2009年春に始まった国際舞台芸術祭、フェスティバル/トーキョー(F/T)は昨秋で6回目を数えた。本報告では、F/Tの概況報告に続けて、繰り返し招かれている国内外の作り手のなかからリミニ・プロトコル(2000年結成)を取り上げ、彼らがF/Tで発表し、報告者がその制作に関わった3作品——『カール・マルクス:資本論、第一巻 東京ヴァージョン』(09年春)、『Cargo Tokyo-Yokohama』(09年秋)、『100% トーキョー』(13年秋)——を中心に、そのクリエーションにおける、演技、近代古典劇の現代化、字幕の各点について検討する。またここから導かれる、F/Tの特徴と課題について考えたい。

《プロフィール》
萩原健(はぎわら・けん)
明治大学国際日本学部准教授。
現代ドイツ演劇および関連する日本の演劇。共訳に『パフォーマンスの美学』(2009)、共著に『演劇インタラクティヴ 日本×ドイツ』(2010)、『村山知義 劇的尖端』(2012)ほか。戯曲翻訳、稽古場通訳、字幕翻訳・制作・操作も手掛ける(萩原ヴァレントヴィッツ健)。

西洋比較演劇研究会12月例会のお知らせ

連続シンポジウム「スタニスラフスキーは死んだか?」第二回・日本におけるスタニフラフスキー

日時:12月7日(土)14:00-18:00
会場:成城大学(教室未定)

司会:井上優(明治大学)
講師:藤崎周平(日本大学)
講師:笹山敬輔(日本近代演劇研究)

「スタニスラフスキー・システムの歴史的検証」と題した第一回(2012年12月)は、浦雅春(東京大学大学院教授)・堀江新二(大阪大学大学院教授)両氏を講師にお呼びし、ロシアで誕生したスタニスラフスキー・システムとは本来どのようなものであったか、そしてロシアや海外で現在までどのように用いられてきた、ということについてお話しいただいた。その概要は電子ジャーナル『西洋比較演劇研究』第12巻第2号「例会報告」に詳しく収められている。

第二回「日本におけるスタニスラフスキー」は、藤崎周平(日本大学教授)・笹山敬輔(日本近代演劇研究)両氏をお迎えして、戦前から戦後にかけて日本でスタニスラフスキー・システムがどのように理解され、受容されてきたかについてお話しいただく。

1. 発表:笹山敬輔「戦前から戦後にかけてのスタニスラフスキーの受容」

演技術は、第一義的には演技をするための「技術」であるが、その背景には多様な思想や文化状況が存在している。そのため、スタニスラフスキー・システムのような西洋の演技術が日本に移入されるときには、その演技術が日本の身体観や心理観に影響を与えるとともに、それ自身も影響を受けて変容することになる。それは、受容者側の理解力不足の結果というよりも、その地域における文化状況との交渉であると言えるだろう。日本におけるスタニスラフスキーの受容を考えるためには、それぞれの時代の文化史研究・科学史研究とも接続しながら、脱領域的に論じていくことが必要となる。
本発表では、戦前から戦後にかけてのスタニスラフスキー受容について、三つの時期に分けて論じていく。最初が1910年代から1920年代で小山内薫を中心に、次が1930年代でプロレタリア演劇を中心に、最後が1940年代以降で千田是也の『近代俳優術』を中心とする。その際には、同時代の「身体」や「心」に対する認識の枠組みと照らし合わせながら論じていきたい。

発表者紹介
筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科文芸・言語専攻修了。博士(文学)。著書に『演技術の日本近代』(森話社、2012年)、「モンタージュ理論と演技術――村山知義の「新しい演技」」(岩本憲児編『村山知義 劇的尖端』森話社、2012年)。

2. 発表:藤崎周平「演技基礎教育におけるスタニスラフスキー的手法の実践-RelaxationとRepetition-」

スタニスラフスキー的手法が、日本の俳優養成の現場でどのように引用され、扱われているのか。特に、俳優の基礎教育における実践について報告したい。ここでいう「基礎教育」とは、実際の役作りの前に行われるものであり、演技を包括的に思考し、行っていくための根拠となりえるような訓練のことである。
今回紹介する2例は、1920年代以降、アメリカで展開したスタニスラフスキー・システムから引用された実践である。1つめは、前期の「感覚の記憶」から、リー・ストラスバーグが開発した《Relaxation》、さらには、いわゆるメソード演技が目指す「身体感覚を研ぎ澄ましていく」ために展開する一連の訓練であり、もう1つは、後期の「身体的行動」から、サンフォード・マイズナーが “相手との関係の中から自らの行動を発見していく”訓練として開発した、《Repetition》である。両者を検討しながら、システムの有効性について検討したい。

発表者紹介
日本大学芸術学部教員 専門は演技方法論及び俳優教育
専門学科で俳優教育に20数年従事する。近著に『新演技の基礎のキソ』(主婦の友社)がある。

西洋比較演劇研究会以外の、一般の方のご来聴を歓迎します。会場整備の都合上、前日までにhibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jpにご一報ください。

西洋比較演劇研究会5月例会のご案内

会場が通常と異なりますのでご注意ください。

次回例会は、先日お知らせしたように、エリカ・フィッシャー=リヒテ氏の新刊書『演劇学へのいざない 研究の課題』をめぐっての討論となります。著者は当会が主催した国際演劇研究集会に何度も参加して下さった、非常に縁の深いドイツの演劇学者です。演劇学の基礎概念とその適用に関するこの著者の近刊をめぐって、訳者を中心に討論していく予定です。

日時 5月18日(土)14:00〜18:00
場所 慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎一階シンポジウムスペース
※予約名は「慶應演劇論研究会・西洋比較演劇研究会」です
※交通・アクセスはこちらを参照(地図の9番の建物です)

新刊書評討論
エリカ・フィッシャー=リヒテ『演劇学へのいざない 研究の基礎』山下純照、石田雄一、高橋慎也、新沼智之訳、国書刊行会、2013年4月

参加者:訳者;石田雄一(中央大学)、高橋慎也(中央大学)、新沼智之(明治大学)
    質問者;中島裕昭(東京学芸大学)、萩原健(明治大学)
     ※山下純照氏は在外研究で日本におられないため参加できません。

まずは訳者に本書の内容を簡単に説明してもらい、続いて、同著者の『パフォーマンスの美学』を翻訳した質問者のお二人から口火を切っていただき、それからフロア全体で討論をするという進行を予定しています。ドイツ語からの訳書ですので、もちろん討論が翻訳の問題に及ぶこともあるかとは思いますが、基本的には日本語レベルでの討論を、と考えております。時間もたっぷり確保しておりますので、内容の不鮮明なところの確認なども含めて、多くの質問、意見、感想が出てくることを期待しております。

《討論参加者・質問者プロフィール》
石田雄一
中央大学法学部教授。ドイツ演劇・文学。「演劇が聞こえる風景—ハイナー・ミュラーの『絵の記述』と『ヴォロコラムスク幹線路』を例に」(『近代劇の変貌』中央大学出版部、2001年所収)、「祭儀の物語性と劇性について—カロリング朝時代のミサの変化を例に」(『「語り」の諸相』中央大学出版会、2009年所収)。

高橋慎也
中央大学文学部ドイツ語文学文化専攻教授。ドイツ演劇・文学。「マルターラー演劇の「孤独」のモチーフとパフォーマンス性 : 演劇ドキュメンタリー映画『家族会議(Familientreffen)』を題材として」(中央大学ドイツ学会『ドイツ文化』67、2012年)、『テロリズムの記憶と映像芸術』(日本ドイツ学会紀要42、2008年)、『ドイツ統一後のベルリン演劇の展開』(中央大学文学部紀要100、2007年)など。

新沼智之
明治大学ほか非常勤講師。演劇学、ドイツ演劇の近代化プロセス。「ドイツ演劇の近代化の出発点—コンラート・エクホーフの試行錯誤」(『演劇の課題』三恵社、2011年所収)、「18世紀後半のドイツにおけるアンサンブル演技理念の方がと劇団規則」『西洋比較演劇研究』第12巻2号、2013)など。

中島裕昭
東京学芸大学演劇分野教授、学部表現コミュニケーション専攻・大学院表現教育コース担当。専門は現代ドイツ演劇・文学、演劇教育、パフォーマンス研究。共著に『ドラマ教育入門』、共訳に『パフォーマンスの美学』など。

萩原健
明治大学国際日本学部准教授。現代ドイツの舞台芸術(特に演出の歴史)および関連する日本の舞台芸術。共著に『村山知義 劇的尖端』、共訳に『パフォーマンスの美学』など。舞台通訳、字幕翻訳・制作・操作。

2006年度例会報告

2006年4月22日
総会
国際研究コロキウム総括 毛利三彌 斎藤偕子 宮崎良久
講演と討論 宮下啓三「ハムレットの沈黙―研究対象としての演劇について思うこと―」
2006年5月27日
堤春恵 「新富座の“土人(アメリカ原住民)”」
日比野啓 「「喜劇」の誕生:曾我廼家五郎・十郎一座の初期の活動を中心に」
2006年7月15日
新沼 智之「ルートヴィヒ・ティークの演劇改革 ― 想像力の演劇」
大浦龍一「バーナード・ショーにおける演劇の『近代』」
2006年9月23日
シンポジウム『寺子屋の東西』
日比野啓 司会
田中徳一「中村吉蔵が見たドイツの『寺子屋』」
児玉竜一「浪花座の『マツ』」
小笠原愛「ワシントン・スクエア・プレイヤーズの『ブシドウ』」
2006年10月28日
安田比呂志「18世紀におけるギャリック版『ロミオとジュリエット』の衝撃と功績」
宮崎良久「ギリシア悲劇の視覚的技法-アイスキュロス『アガメムノーン』の場合-」
2006年12月9日
藤岡阿由未「グランヴィル・バーカーの理想「ノーマルな戯曲」とは何か ―1910年『マドラス商店』初演をめぐるプロパガンディズムの行方―」
毛利三彌「イプセンと演劇表現」               
2007年1月13日
北野雅弘 「演劇的ポリフォニーへ向けて~リヴィング・シアターの『アンティゴネ』」
小田中章浩「両大戦間のヨーロッパ演劇における「問題系」としての時間の反転と記憶の喪失」