月別アーカイブ: 2009年10月

西洋比較演劇研究会回覧

会員の岡室美奈子さんより以下の上納の回覧依頼がありましたのでお知らせします。
【以下貼り付け】
西洋比較演劇研究会会員のみなさま
演劇博物館グローバルCOE西洋演劇研究コースでは、
11月10日から25日まで、テルアビブ大学とコロラド州立大学名誉教授で
国際ベケット協会会長のLinda Ben-Zvi氏を招聘いたします。
講演会及びセミナーを下記のとおり開催いたしますので、ぜひお越しください。
【講演会】
演題: 「21世紀におけるベケットのテレビ作品」
日時: 11月14日(土)17時〜18時30分
会場: 早稲田大学早稲田キャンパス14号館5階515教室
http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html
使用言語: 英語 予約不要
懇親会: 終了後、懇親会を開催いたします。
※懇親会にご出席くださる方は、予め岡室までご連絡ください。
【セミナー】
第一回:11月13日(金)14:45〜16:15 戸山キャンパス39号館第7会議室
第二回:11月16日(月)14:45〜16:15 同上
第三回:11月20日(金)14:45〜16:15 同上
第四回:11月23日(月)14:45〜16:15 戸山キャンパス33-2号館第2会議室
http://www.waseda.jp/jp/campus/toyama.html
連絡先:
岡室美奈子 okamuro@mti.biglobe.ne.jp

西洋比較演劇研究会 11 月例会のお知らせ

西洋比較演劇研究会 11月例会のご案内
さわやかな秋空のもと、将来を切り開く発表内容をそろえました。ここ数年25名〜30名
の出席数をずっと確保しています。今回もぜひご参加を!
日時 2009年11月14日(土) 14:00〜18:00
場所 成城大学2号館1F 大会議室
1 <素材紹介>
伊藤愉:ロシア・アヴァンギャルド演劇の傍流――イーゴリ・テレンチエフ
二十世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドと呼ばれる芸術運動は、国内外で継続的に研
究され、ある程度の概要は掴めるようになっている。その一方で、いまだ知られざる芸
術家たちも数多く存在し、彼らの活動に光をあて、その活動や思想の可能性を解明する
ことが現在要請されている。演劇においても、メイエルホリド、タイーロフ、エヴレイ
ノフ、といった代表的な演劇人たちの影に隠れながらも、興味深い実践や考察を行った
人物は多い。なかでも、今回の報告で取り上げるイーゴリ・テレンチエフ(1982―1937
)は、短い活動期間のなかで多くの実験を繰り返し、上演のたびにセンセーションを引
き起こした看過すことのできない人物である。しかし、その活動の実態は、公開資料の
少なさから、これまであまり知られてこなかった。
ロシア演劇史の文脈では、「スタニスラフスキーは19世紀の終わりを告げ、メイエルホ
リドは20世紀の始まりを告げた」としばしば言われる。雑駁に言えば、これは19世紀か
ら20世紀にかけての演劇の自立化の過程を意味している。スタニスラフスキーは娯楽に
すぎなかった演劇を作品として認めうる芸術にまで高め、メイエルホリドは再現として
の演劇からその先に進み、一回性という特性を最大限に生かした演劇の創造を模索した
。こうした一回性の問題から、メイエルホリドは、自身の演劇論の根幹に俳優の身体を
置くことになる。テレンチエフもまたメイエルホリドの影響を受け、演劇の一回性を意
識したが、彼が注目したのは俳優の発する声だった。それは意味としての言語ではなく
、意味を超えて知覚される音としての声である。いうなれば、メイエルホリドは身体言
語の開発を試みたのに対し、テレンチエフは言語身体の開発を試みていたのである。彼
の思想や実践は、活動期間の短さ、またメイエルホリドという巨大なイデオローグの影
に隠れたことから、同時代に影響を与えることは少なかった。だが、その試みは、メイ
エルホリドが始まりを告げた20世紀演劇を、また別の形で昇華させようとするものだっ
た。
 目的は、忘れ去られた芸術家テレンチエフの演劇における成果を限られた資料を基に
素描することにある。新たな人物を紹介することで、ロシア・アヴァンギャルド演劇の
イメージがより豊かなものになっていくことを期待している。
発表者プロフィール
伊藤愉(いとうまさる)一橋大学大学院言語社会研究科博士課程。早稲田大学演劇博物
館GCOE研究員。ロシア演劇研究。共訳『メイエルホリド演劇の革命』水声社、2008
年。
2 研究発表
村井華代:「反演劇性」、その問題の在り処
19世紀末の演劇の諸改革は、多く何らかの意味で「反演劇的」と言える志向に従ってい
た。しかし、それらが全く異なる様相を呈していたのは、その改革の中で排除された「
演劇性」が、それぞれに異なる意味で捉えられていたからである。が、そのような多様
性は、なぜ生じるのか。演劇の構造に、そのような差異を生み出すような契機があるの
か。
 こうした疑問を解いてゆく過程として、この発表では、現代の議論において扱われる
「反演劇性」、そして現代から遡及的に「反演劇的」と規定される近代以前の諸形式に
ついて、その概念自体がどのような意味で規定されているか、あるいは規定されうるか
を考察する。排除の契機を与える、すなわち反転の可能性が信じられる「演劇性」のコ
ノテーションとはどのようなものなのか。「演劇性」というタームの無限拡大に注意が
喚起されて久しいが、「演劇的」と「反演劇的」の境界そのもの、或いはその揺らぎに
着目することで、問題を演劇それ自体の構造にかえす試みである。
現代の議論で言及される「反演劇性」のイメージは、多くジョナス・バリッシュ によ
る反演劇コレクションに依存している。そこに潜伏する諸カテゴリーを視覚化し、バリ
ッシュの再考として出されたアッカーマンとパクナーの見解、絵画におけるフリードマ
ンの「演劇性」概念に加え、近年の諸議論を参照しながら、具体的な問題の所在を探る

村井 華代(むらい はなよ)
共立女子大学文芸学部専任講師。西洋演劇理論を国別によらず横断的に扱う。近年は記
号論による神学と反演劇性の関連付けに取り組んでいる。共著:『現代ドイツのパフォ
ーミングアーツ』『20世紀の戯曲3』。