月別アーカイブ: 2014年12月

西洋比較演劇研究会1月例会のお知らせ

気鋭の若手、充実の中堅による発表3本です。
いつもと時間帯が異なりますのでご注意ください。

日時 2015年1月10日(土) 13:30~18:30
会場 成城大学7号館 731教室

研究発表 
1 關智子 (発表13:30~14:20、質疑応答14:20~15:10)
2 大浦龍一(発表15:20~16:10、質疑応答16:10~16:50)
3 譲原晶子(発表17:00~17:50、質疑応答17:50~18:30)

論題+発表要旨+プロフィール

研究発表1 關智子:「挑発のドラマトゥルギー:サラ・ケインの戯曲に通底する「演劇性」」

発表要旨(*なお発表者からメッセージがあります。プロフィールの下をご覧ください)
 サラ・ケインは90年代のイギリスを代表する劇作家である。1991年の処女作発表から99年に自殺するまでの9年間の間に8本の戯曲を遺しており、彼女の作家人生の短さにもかかわらず、それらの形式は大きく変化している。既に個々の作品については多くの分析がなされており、またそれぞれの相違についてはしばしば指摘されるものの、何がケインの作品すべてに共通しており、それがどのように重要であるのかということについての研究はいまだ不十分だと言わざるを得ない。
 そこで本発表ではケイン作品のドラマトゥルギーに焦点を当て、その核の抽出を試みる。具体的には、最初期のモノローグ作品集『病』(未出版)から遺作『4時48分サイコシス』までの戯曲をいくつかの視点から分析し、それらに通底するケインの問題意識について考察する。この分析により、ケインの作品を貫いているのは観客に対するなんらかの働きかけであることがわかり、さらにこの観客への指向性こそが、(特に後期の)およそ上演を前提としているとは思われないテクストでさえも、演劇のために書かれたテクストであることを保証していると考えられる。そしてこのことから、まったく別種であるように思われる「イン・ヤー・フェイス演劇」と「ポストドラマ的」なテクストの間に共通点を見出すことができるだろう。
 以上のように本研究は、ケインの作品の根底には常に観客を目指す工夫があることを指摘し、またケインのドラマトゥルギー分析によって90年代以降の英戯曲に見られる大きな変化を理解する手がかりを得ることを試みるものである。

プロフィール
關智子(せき・ともこ)。日本学術振興会特別研究員(DC2)。早稲田大学大学院文学研究科博士課程。専門は90年代以降のイギリス戯曲。国際演劇評論家協会会員、演劇批評ウェブマガジン「シアターアーツ」編集部員。「不在の登場人物と創造=想像力のメカニズム―マーティン・クリンプ『彼女の生に対する試み』論―」(『演劇学論集日本演劇学会紀要57』、2013年)、『ポストドラマ時代の創造力』(藤井慎太郎監修、白水社、2013年、編集補佐)他。

発表者からのメッセージ:参考文献について

既にお読みいただいた方には誠に恐縮ではございますが、お知らせいたしました参考文献は分量が多いため、まだお読みでない方は、『ポストドラマ演劇』の「プロローグ」(pp.15-32)および「テクスト」(pp.193-206)、In-Yer-Face Theatreの‘What is in-yer-face theatre?’(pp.3-30)および‘Sarah Kane’(pp.90-117)を最低限お読みいただければと存じます。ご連絡が遅れましたことをお詫び申し上げます。

上記メッセージは、11月12日付けで流しました内容についてです。念のため再度掲げます:

西洋比較演劇研究会員の皆様へ
 例会企画担当からお知らせです。12月13日例会のあと、来年1月10日例会ではお三方の研究発表を予定しています。正式な通知は12月半ばになりますが、このたび、例会担当から発表者にお願いして、会場での議論の参考となる基本資料を早めにご教示いただきました。
 もとより、これは発表そのものをお聞きになる上での条件として示していただいたものではありません(発表部分については、これまで通りです)。質疑応答が、よりかみあったものとして充実することを期しての新しい試みです。どうぞご参考になさってください。

2015年1月例会 ―― 基本文献・資料 ――
大浦龍一氏
Shaw, Bernard, You Never Can Tell, Plays Pleasant, ed. Dan H. Laurence, London: Penguin Books, 2003. (Penguin Classics)
or Project Gutenberg,
https://www.gutenberg.org/files/2175/2175-h/2175-h.htm

關智子氏
ハンス=ティース・レーマン『ポストドラマ演劇』谷川道子、新野守弘、本田雅也、三輪玲子、四ツ谷亮子、平田栄一朗訳、同学社、2002年。
Sierz, Aleks, In-Yer-Face Theatre: British Drama Today, London: Faber and Faber Ltd, 2001.

譲原晶子氏
Yuzurihara, Akiko, “Kylián’s space composition and his narrative abstract ballet” Theatre Research International 38:3.
可能なら次のDVDも。
Jiri Kylian, black & white ballet, Arthaus Musik GMBH.

研究発表2 大浦龍一「松居松葉とバーナード・ショー ―文芸協会公演『二十世紀』を中心に―」

発表要旨
バーナード・ショーが1895年12月から翌96年5月にかけて執筆した7作目の戯曲 You Never Can Tell は、1899年11月にthe Stage Societyによって初演された。しかし、この作品は本来商業劇場での上演を目論んで書かれたものだが、実現しなかった。この作品が世間的に注目されるようになったのは、1906年のグランヴィル・バーカーによるコート座での上演であった。バーカーは興行師ヴェドレンと組んで1904年から1907年にかけてコート座で商業劇場では上演の機会の少ない作品の連続上演を行っていた。合計32作のうち11作がショーのものだった。このコート座でのYou Never Can Tell上演の観客席に二代目左団次と外遊中の松居松葉の姿があった。
それから6年後の1912年11月、松葉は文芸協会の有楽座公演ためにYou Never Can Tellを『二十世紀』という題で翻訳し、自身で演出した。実はこれは彼が手がけた最初のバーナード・ショー作品ではなく、すでに同年6月に『運命の人』The Man of Destinyの演出をしていた。しかし、そのときの翻訳は楠山正雄であり、協会の試演場での試演であった。そして、『二十世紀』は一幕物の『運命の人』と異なり、四幕の本格喜劇であった。また、松葉の演出による最初の文芸協会公演であった。松葉にとっては、彼が吸収してきた英国エドワード朝演劇のエッセンスを発揮できる機会だったはずだ。
ところが、当時の劇評を読むとあまり芳しいとはいえない。文芸協会内部での坪内逍遥派と島村抱月派の対立などの裏事情も含め、この公演の問題点を考察したい。

プロフィール
大浦龍一(おおうら・りゅういち)。明治大学文学研究科博士課程単位取得退学。現在、大阪芸術大学通信部講師。日本バーナード・ショー協会事務局長。専門は英国ヴィクトリア・エドワード朝演劇、共著:『バーナード・ショーへのいざない』日本バーナード・ショー協会編(文化書房博文社、2006)、論文:「女神の黄昏―晩年のパトリック・キャンベル夫人―」(『バーナード・ショー研究』12号、日本バーナード・ショー協会、2011)、「日本演劇におけるバーナード・ショー元年」(『バーナード・ショー研究』13号、日本バーナード・ショー協会、2013)など。

研究発表3 譲原晶子「イリ・キリアンの舞台外空間――奥行きの闇と舞台袖」
発表要旨
 イリ・キリアン(1947- )は現代を代表するバレエ振付家として知られている。一晩ものの物語バレエよりも小品を得意とするこの巨匠の作風について、舞踊学者セイヤーズは「非物語劇的バレエnon-narrative dramatic ballet」――すなわち、明確な物語はもたないがドラマティックな表現性をもつ作品――と評し、また彼の『詩編交響曲』(1978)と『墜ちた天使』(1989)の「熟練した群舞操作の類似性」について指摘している。本発表では、この2作の他に『結婚』(1982)、『かぐや姫』(1988)、『サラバンド』(1990)、『プチ・モール』(1991)を含む彼の初期から中期にかけての作品群において、手法と呼ぶべきある共通の群舞デザイン・システム(あるいは空間構成システム)が使用されていることを指摘する。(この手法は、オハッド・ナハリン、ナチョ・デュアトなど他の振付家の作品にも利用されているのが観察できる)。論者はこの手法を「点―線―面の手法」と名付け、この手法がもつ意味と機能を検討する。
 考察で着眼することのひとつに、「ダンサーが舞台に登場、退場するとき方向」の問題がある。上記の作品は、作品中のダンサーの出入りは総じて少なく、出入りがある場合には舞台袖よりも舞台背景の「闇」が利用されており、作品全体としても舞台空間の「幅」よりも「奥行き」が活用されようとしている、という特徴が共通してみられるのである。一方キリアンの作品には、『シンフォニー・インD』(1976)など、これとは正反対の作品、すなわち、作品中のダンサーの出入りが激しく、舞台袖のみから登退場し、舞台空間の「幅」がフルに活用される作品も見られる。これら二つのタイプの作品を比較することで、キリアンの「舞台空間」(より正確にいえば「舞台外空間」)に対する考え方を読み解いてゆきたい。
 これらの考察を踏まえてさらに、『かぐや姫』の空間構成について分析する。『かぐや姫』はキリアンには異色の一晩もの物語バレエである属するが、やはり「非物語劇的バレエ」の様相を帯びている作品である。この作品も、「点・線・面の手法」を使って構成されているが、これによってキリアンが、筋書きを通してよりも空間を通して物語を構成しようとしていることを論証する。また、本発表の本筋からははずれるが、『かぐや姫』という「日本最古の文学作品」に取材するバレエ作品のグローバル化にまつわる問題についても言及したい。

プロフィール
譲原晶子(ゆずりはら・あきこ)、千葉商科大学教授。主要著書にAnne Woolliams: method of classical ballet (Kieser Verlag, 2006),『踊る身体のディスクール』(春秋社, 2007)、最近の主要論文に、’Kylián’s space composition and his narrative abstract ballet’, Theatre Research International, 38:3 (2013);メネストリエのバレエ理論からみたノヴェール―『舞踊とバレエについての手紙』(1760)における借用をめぐって,『美学』244号,2014;”Historical and contemporary Schrifttanz: Rudolf Laban and postmodern choreography” Dance Chronicle, 37:3 (2014) などがある。

西洋比較演劇研究会12月例会のお知らせ

連続シンポジウム「スタニスラフスキーは死んだか?」第3回・総括:ラウンド・テーブル・セッション

日時 2014年12月13日(土)14:00-18:00 場所 成城大学3号館大会議室

司会 日比野啓(成蹊大学准教授)

ディスカッサント 井上優(明治大学准教授)・新沼智之(明治大学非常勤講師)・毛利三彌(成城大学名誉教授)・安田比呂志(日本橋学館大学教授)・山下純照(成城大学教授)[五十音順]

西洋比較演劇研究会では、連続シンポジウム「スタニスラフスキーは死んだか?」を、これまで以下のように二回実施してきました。

2012年12月例会「スタニフラフスキー・システムの歴史的検証」(講師:浦雅春・堀江新二)
告知:西洋比較演劇研究会公式サイト
概要:『西洋比較演劇研究』第12巻第2号「例会報告」

2013年12月例会「日本におけるスタニフラフスキー」(講師:藤崎周平・笹山敬輔)
告知:西洋比較演劇研究会公式サイト
概要:『西洋比較演劇研究』第13巻第2号「例会報告」

最終年度となる今年度は、専門家をお招きしてその研究成果を伺うかわりに、これまで議論されてきた内容をもとに、西洋比較演劇研究会の会員有志によるラウンド・テーブル・セッションを行い、三年間の総括を行います。

ラウンド・テーブル・ディスカッションの進行次第を以下のように変更します。直前の変更は望ましいものではないですが、聴衆のみなさまのより広汎な理解が得られ、結果としてフロアからのディスカッションが盛り上がることを期待して、苦渋の決断をいたしました。ご寛恕いただければ幸いです。

進行次第

第一部:スタニスラフスキー・システム基本概念の批判的検討(約60分)
第二部:司会からの『俳優の仕事』の「新しい」読み方の提案(約60分)
(休憩)
第三部:ディスカッサントによる議論:スタニスラフスキー・システムの現在における有効性(約60分)
第四部:フロアからの議論・まとめ(約60分)

議論を発展させるために当日に配布する資料として「第一部レジュメ」(日比野)「第二部レジュメ」(日比野)および「スタニスラフスキイについて」(毛利)という三点のPDFファイルをあらかじめアップロードしておきました。事前に目を通しておいていただければ幸いです。

第一部:基本概念の批判的検討(約60分)
多様な解釈を許容する、矛盾をはらんだテクスト=「古典」としての『俳優の仕事』という前提をもとに、ディスカッサントおよび司会が、スタニスラフスキー・システムの基本概念(の一部)を説明し、その内実を批判的に検討します。新訳における訳語の適切さや、スタニスラフスキー自身の用語使用の「揺らぎ」についても言及されることになるでしょう。

[担当概念:担当者(変更の可能性あり)]

  1. 魔法の<もしも>・与えられた状況:井上
  2. 注意の対象(光の輪)・交感[交流]:安田
  3. 断片と課題・ポドテクスト:山下
  4. 「我あり」・適応・舞台における内的な自己感覚:日比野
  5. 貫通行動[一貫した行動]・超目標[究極課題]:新沼
  6. 身体的行動:毛利

第二部:司会からの『俳優の仕事』の「新しい」読み方の提案
21世紀の現在から、ほぼ百年前のテクストである『俳優の仕事』に書き込まれたイデオロギーや「偏向」について検討します。といっても、それは「あと知恵」でスタニスラフスキーを批判するためではなく、今スタニスラフスキーをアクチュアルなものとして読むために必要な「構え」を共有するためです。具体的には、以下の6点についてお話します。

  1. リアリズム=「持続する時間」の表象
  2. 科学主義
  3. 機械論的人間観
  4. 主体の統一性という神話
  5. 折衷主義
  6. 観客の観劇態度を教育するものとしての『俳優の仕事』

第三部:ディスカッサントによる議論:スタニスラフスキー・システムの現在における有効性
第一部・第二部で話し合われたことを受けて、スタニスラフスキー・システムの現在における有効性をディスカッサント間で自由に議論を行います。昨今の上演作品(国内・海外)における成功例・失敗例なども具体的に取り上げられることになるでしょう。

第四部:フロアからの議論・まとめ
第一部から第三部で話し合われたことを受けて、フロアから質問・疑問を受けつけ、必要があればディスカッサント・司会を交えて議論を行います。最後に司会がまとめを行い、今後のスタニスラフスキー・システムの活用の見通しを語ります。

具体的にはまず、以下の問いについてディスカッサントおよび司会がそれぞれ自分なりの「答え」を持ち寄ります。「筋書」のないセッションですが、答えの根拠の正当性を互いに問い質すことを通じて、スタニスラフスキー・システムの理解を深めることをめざします(約120分)。

  1. 日本において、サブテクストや「魔法のもし」といった、スタニスラフスキーがその著書で提唱し、それ以降の俳優訓練や公演に向けての舞台稽古で——ときとしてスタニスラスキー由来であることが余り意識されずに——用いられ、普及してきた方法論がある一方で、究極課題[超目標]のような、今ではあまり用いられなくなってしまった方法論もある。後者は、なぜ省みられなくなったのか。演技についての私たちの認識が変わったからなのだとすれば、それはどう変わったからなのか。
  2. スタニスラフスキー・システムが近年の上演(国内および海外)でも有効であるとしたら、それはどんな点なのか。スタニスラフスキー・システムによる訓練/舞台稽古の成果があった、と考えられる近年の上演にはどのようなものがあったか。
  3. スタニスラフスキー・システムが観客と観劇態度に及ぼした影響はあるか。観客論の見地からスタニスラフスキー・システムを論じることは可能なのか。

つぎに、ディスカッサントはみな演技論に関心がある研究者ですが、スタニスラフスキーを専門に研究している人間はいません。専門とする分野も、イギリス演劇・ドイツ演劇・アメリカ演劇・北欧演劇と様々です。そうした「外部」の視点から、スタニスラフスキーはどのように見えてきたのか、ということについても互いの認識をすり合わせたいと考えています。当然それは、スタニスラフスキー・システムの「普遍性」の議論にもつながるはずです。スタニスラフスキーが考えていたリアリズム、そしてスタニスラフスキーが直接対峙していた二十世紀の変わり目のロシア演劇という「限界」を超えて、現在私たちが考えるリアリズム、そして世界演劇(とりわけ日本演劇)でスタニスラフスキー・システムをどう使うか、あるいはどう使えないか、について、自由に議論していただきます(約60分)。

最後に、フロアからも積極的に議論に参加いただき、これまで出てきた問題を別の角度から検証し、これまで論じられなかった話題について整理し、将来への展望につなげます(約60分)。

会員のみなさんはふるってご参集ください。また非会員のかたのご見学も歓迎します。当日お名前と(あれば)所属をお書きいただくだけで、事前のご連絡は不要です。