西洋比較演劇研究会2013年度7月例会のお知らせ

会員の皆様
早いもので前期最後の例会の案内です。今回は会場を明治大学に移しての開催となります。何卒奮ってご参集くださいますようお願い申し上げます。

2013年7月13日(土) 14時〜18時
会場 明治大学駿河台キャンパス 研究棟4階 第一会議室

※校舎についてはこちらをご参照ください。
※アクセスについてはこちらをご参照ください。
※リバティタワー正面より左手に研究棟への連絡通路があります。

【研究発表1】
せりふと表情と翻案と —文士俳優・土肥春曙の理想と挫折—
村島彩加(明治大学)
【研究発表2】
セネカ悲劇に見る「運命」と「人」〜『トロイアの女たち』における劇構造の観点から〜
玉垣あゆ(名古屋大学)

※終了後臨時総会が開催される可能性があります(15分程度の予定)。

【発表要旨1】
せりふと表情と翻案と —文士俳優・土肥春曙の理想と挫折— 
村島彩加

文芸協会の俳優として演劇史に名を留めている土肥春曙(1869〜1915)は、従来の演劇研究において言及されることの少ない存在であった。その当たり役としては、文芸協会公演における『ハムレット』のタイトルロールが知られているが、彼の役者としてのスタートは明治38年(1905)であり、その活動は短い一生の最晩年の10年に満たない。しかし、彼は明治34〜35年(1901〜02)の川上音二郎一座欧州巡業に「通訳兼演劇研究」として随行して以降、多くの演劇および文芸雑誌に欧州の演劇事情を紹介する文章を掲載、また従来の歌舞伎とも新演劇とも違う新しい演技の創生を提唱し、社会劇の翻案上演を推奨していた。それらの言説、またそこに立脚しての彼の演劇活動からは、彼が文芸協会の花形役者としてだけではなく、様々な角度から時代に即した新しい演技を模索していた過程が浮かび上がってくる。本報告では、従来等閑視されがちであった春曙の活動を「俳優として」「文士として」「演劇の指導者として」の三点から検証し、彼が理想とした新しい演技と、その完成に向けての模索の跡を辿ることで、初期の新劇における演技術創出の一端を知ることを目的としたい。

<発表者プロフィール>
村島 彩加
明治大学文学部兼任講師。幕末〜大正期の演劇写真に見る歌舞伎の近代化を検証することを中心に、化粧、表情など演技の様々な要素の近代化を研究している。

【発表要旨2】
セネカ悲劇に見る「運命」と「人」〜『トロイアの女たち』における劇構造の観点から

玉垣あゆ(名古屋大学)

昨年末イスラエルに於いて、エウリピデス作『トロイアの女たち』がアラブ系、ユダヤ系のイスラエル人と日本人の俳優たちによって上演されたことは記憶に新しい。前416年のアテーナイ人によるメーロス島民虐殺事件を踏まえて作られたこの劇は、一般に「反戦劇」と解釈される。それに対し、エウリピデスから約450年後、平和を謳歌する古代ローマにおいて、哲学者セネカによって制作された同名の悲劇は、トロイア戦争後のトロイアという舞台背景、敗者であるトロイアの女たちと勝者であるギリシアの将軍たちという登場人物たちこそほぼ同一であるものの、「反戦劇」と捉えられることはない。これは、劇中に冥界の描写や亡霊の登場が認められる一方、「死後は何も存在しない」というストア思想を歌う第二合唱歌の存在があり、この矛盾をどう解釈するのか、「死」について多く論じられてきたためである。しかしこの部分的な矛盾に捕らわれるあまり、先行研究では全編を通した劇そのものの解釈が疎かにされてきたように発表者には思われる。本発表では、『トロイアの女たち』におけるセネカの独自性を確認した上で、「輪の構成(ring-composition)」と登場人物たちの対応関係という既に指摘された劇構造に再度着目し、登場人物たちの間に新たな対応関係を見出すことによって、「運命」という枠の中で人がいかに生きるか、人としての心のあり方が本作品を通して読みとられることを明らかにしたい。

〈発表者プロフィール〉
玉垣あゆ
名古屋大学ほか非常勤講師。専門は西洋古典学(主にセネカ悲劇研究)。「セネカの『オエディプス』における運命と意志」(『西洋古典研究会論集』21号、2012)「不実な夫の悲劇−セネカ『パエドラ』についての一解釈−」(比較文化研究106、2013)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です