2015年度10月例会のお知らせ

2015年度 西洋比較演劇研究会 10月例会のお知らせ

後期最初の例会を以下の日程で行います。
若手研究者によるシンポジウムです。ぜひ奮ってご参加ください。

日時:2015年10月10日(土)14:00?18:00
会場:成城大学 3号館 1F  312教室
内容:シンポジウム「演劇の近代化と俳優術の変容」

1. 新沼 智之:西洋演劇における演技の近代化の変遷
2. 奥 香織:タルマの舞台実践にみる俳優術の変容とフランス演劇の近代化」
3. 村島 彩加:明治・大正期の日本演劇における狂気の表現−演劇写真を手掛かりとした一考察−

コメンテーター:神山彰
司会:山下純照

【趣旨】
近代演劇は19世紀末、リアリズムや自然主義の文脈あるいはその影響下で成立する。
一つの美学的・芸術的視点によって舞台を統一しようとする意志のもと、演出家が登場するのもまたこの時代である。しかしながらこれらの事象は突然現れたものではない。その萌芽が、例えば18世紀の市民劇やディドロの理論にみられることは知られているが、実践の場においてもまた、前段階としてさまざまな試みが行われていた。

例えばドイツでは、エクホーフやイフラントの演技や劇団統制がアンサンブル演技に先立つものとして存在する。フランスでは、18世紀中葉から、より自然な朗唱、物語の世界に即した衣装が探求され始める。一方、日本演劇においても、近代以降の俳優の表現方法に見られる変容の萌芽は、前近代に見出すことが可能である。しかし、それが近代以降にどのように実現されていったのかは、当時の文脈をふまえた上で、「前近代」の表現方法との比較をすることで、真に明らかにすることができると考えられる。
演劇史をあくまでも流れとして捉える中で、近代演劇もまた固定したものではなく、継続的な変化を遂げながら、しかしそれでいて何らかのイメージをもって演劇の在り方を把握するための道具概念として理解され得る。それによって、例えばポストモダンへの眼差しが可能になるわけであるが、本シンポジウムでは逆に近代演劇というゴールを設定してみることで、それ以前の演劇史がどのように描き出されるかを、ドイツ、フランス、日本を主たる研究対象とする三名が、演技を中心に考えてみたい。時にないがしろにされがちな「前近代」をしっかりと把握することは、近代演劇へと新たな眼差しを向ける機会ともなるのではないか。

【発表1】
発表者:新沼 智之
題目:西洋演劇における演技の近代化の変遷

発表要旨
「アンサンブル演技」は西洋演劇の近代化における演技のあり方の一つの到達点と言えるだろう。本発表では、18世紀半ばにまでさかのぼり、そこから19世紀末に完成する「アンサンブル演技」をゴール地点として、演技の近代化の変遷を概観したい。そこで、発表者が主張したいことは、「アンサンブル演技」が完成するまでに4つの段階を経たということである。
第1段階は、古典主義から市民劇への移行における劇作上の変化である。18世紀の半ばに登場した散文の市民劇では、ト書きが多く書き込まれるようになり、俳優はそれを身振り・表情を使って演じることが要求されるようになる。そしてそれはすぐさま、戯曲に書き込まれていない身振り・表情が俳優主導で増大していくという第2段階に入る。
ここで取り上げたいのが、対話者の台詞を「聞く演技」である。さらに、その「聞く演技」が拡張するかたちで第3段階に至る。すなわち、集団演技への意識が生まれる段階である。ここで「アンサンブル演技」という演技のあり方がはっきりと目指されるようになっていく。その主導的役割を担ったのがザクセン=マイニンゲン劇団であるのは言うまでもない。そして最後の第4段階としてスタニスラフスキーのモスクワ芸術座を挙げねばならない(ただ、それはそれまで定着してこなかった、以上に列挙してきたことがらを徹底的に実践し根付かせたとまとめることができ、歴史的には極めて重要なことではあるが、いわば質的向上にすぎないと言えるので、今回は—— もちろん念頭には置くが——特に深入りはしないことにする)。

プロフィール
明治大学ほか非常勤講師。研究テーマはドイツを中心とする西洋演劇の近代化のプロセス。論文に「A.W.イフラントが目指した舞台づくり——視覚的要素の問題を中心に」『演劇の課題2』(三恵社、2015年)、「18 世紀後半のドイツにおけるアンサンブル演技理念の萌芽と劇団規則」『西洋比較演劇研究』(Vol.12 No.2、2013年)ほか。

【発表2】
発表者:奥 香織
題目:タルマの舞台実践にみる俳優術の変容とフランス演劇の近代化

発表要旨
フランスでは、特に18世紀後半以降、演劇の近代化が進む。舞台上の客席の廃止によって演技空間が広がり、上演に求められるスペクタクル性も変容していく。こうした中で登場する俳優タルマは、一世代前からルカンやクレロンによって試みられてきた衣装や演技(朗唱)の改革を土台とし、実践面におけるさらなる改革を試みる。
タルマは衣装を史実に基づいたものにしようと努め、朗唱から約束事を排除することで、舞台の「リアリズム」を探求する。しかしながら「自然さle naturel」という語を用いて表現される演技は、絵画や版画、同時代人の証言を参照すると、実際には様式化され、誇張されたものである。また、改革の試みは基本的に古典悲劇の枠内で行われ、演劇観の根底にあるものも伝統的な模倣観である。これらの点には伝統と革新の間で揺れ動く俳優の姿が見受けられるが、この両義性にこそ、近代化の過程にあるフランス演劇の在り方、古典主義的な上演空間から逸脱しようとする姿を見出すことができるのではないか。
本発表では、舞台の近代化という観点から重要であるタルマの試みに光をあて、伝統的な部分、革新的な部分を浮き彫りにしつつ、タルマが求めた「リアリズム」、彼自身が強調した「自然さ」とはいかなるものであったのかを明らかにしたい。改革を可能にした社会背景、当時の思想との関係も検討したいと考えている。

プロフィール
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得退学、パリ第4大学博士課程修了。現在、日本学術振興会特別研究員、早稲田大学ほか非常勤講師。専門はフランスの舞台芸術、日仏演劇交流。現在の主な研究対象は18世紀フランスの舞台実践、演劇美学。論文:「マリヴォーにおける「露呈」の演劇性」(『日仏国際シンポジウム 演劇と演劇性』、早稲田大学演劇映像学連携研究拠点、2014)、「ルサージュの初期作品にみるアルルカンの表象」(『西洋比較演劇研究』 Vol.14 No.2、西洋比較演劇研究会、2015)など。

【発表3】
発表者:村島 彩加
題目:明治・大正期の日本演劇における狂気の表現−演劇写真を手掛かりとした一考察−

発表要旨
明治30年代後半、俳優の演技において「表情」の重要性を指摘する声が高まるのと同時期に、演劇写真においても、俳優の「表情」をとらえることに眼目を置いた写真が撮影されるようになる。本報告では、それらの写真の中でも「狂気」の表情をとらえたものに注目する。
当該時期に「狂気」の表情を捉えた写真が目につくようになる背景には、それをモティーフとした作品の上演があることは言うまでもない。近代以前より、日本演劇において「狂気」は重要な モティーフであったが、その表現には定型、約束事があった。しかし、明治維新以降、心理学・精神科学の隆盛とともに、一般社会における「狂気」の概念が変化し、「狂人」とされる者の扱いには変化が起こっていた。そうした時流の中で、俳優たちは「狂気」をどのように表現しようとしたのか。
本報告では、五代目尾上菊五郎とその息子である六代目が共に扮した『水天宮利生深川』船津幸兵衛役における狂気の表現の工夫の違いや、帝劇女優・森律子が扮した『遺伝』(益田太郎冠者作)おかよ役の役作りを例に考察すると共に、近代以前・以後で劇作家(狂言作者)たちが「狂気」をどのように描いたのかという相違点も、複数の作品を挙げて検証し、その表象の一環として、演劇写真がどのような役割を果たしたのかも併せて考察したい。

プロフィール
明治大学大学院文学研究科演劇学先行単位取得退学。現在、日本学術振興会特別研究員(PD)、明治大学兼任講師。専門は近代日本演劇(演劇写真、歌舞伎の近代化、宝塚)。最近の論考に「七代目松本幸四郎の「変相」研究とその周辺—舞台化粧指南書Making Upからの影響を中心に—」『西洋比較演劇研究』Vol.11 No.2(日本語版、2012)、「近代歌舞伎と宝塚歌劇の交流」『歌舞伎と宝塚歌劇—相反する、密なる百年—』(開成出版、2014)、「演劇写真研究の泰斗・安部豊の仕事—その成果と活用をめぐって—」『演劇の課題2』(三恵社、2015)がある。

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