西洋比較演劇研究会 9 月例会のお知らせ

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 西洋比較演劇研究会 9月例会のご案内
虫の音すだく好季節、皆様ご清祥のことと存じます。9月の例会は一枠のみの催しとな
ってしまいました。
そのぶん密度の濃い、院生および各大学で教鞭をとられる若い研究者のみなさんのご参
考になる内容にしたいと念じています。
日時 2009年9月19日(土) 午後2時〜4時
場所 成城大学3号館2F 小会議室 
〈研究批評〉 
山下純照 
「主体(性)概念の手前で
―― フィッシャー=リヒテ『ドラマの歴史』(1990)におけるアイデンティティー概
念の多義性について」
要旨
 演劇研究にかぎらず、キーワードがいつまでも定義されないまま一人歩きすることほ
ど、危険なことはない。われわれの分野において目立つ、そのような例に主体(性)の
概念がある。このことは、個々の論文や研究書のなかで、主体という言葉を、自己とい
う言葉に置き換えたとき文章の意味がどれほど変わるかを反省してみればすぐわかる。
発表者は現代の演劇研究における主体(性)概念の使用法を検証することを目指すが、
本発表ではそれへの助走として、この主体(性)という用語が(意外にも)ほとんど使
用されていないフィッシャー=リヒテの教科書をてがかりに、そこにおける主体(性)
概念の「ファミリー」とも言うべき諸概念を吟味したい。
直訳すれば「古代から現在までの演劇における、アイデンティティーの諸時代」となる
副題が付されているこの本において、「アイデンティティー」は典型的な「包括概念」
(Dachbegriff)となっている。それが、本文の記述の中ではいわば自由自在に、Ich(
私、自分、自己)、 Selbst(自己)、 個人(Individiuum)の概念へと置き換えられ
ていく。あたかもこれらはみな等価であって、何らかの拘束力を持った理論的背景とは
無関係に使用可能なように見える。
 しかし、本当はそうであってはなるまい。本発表では、『ドラマの歴史』において上
記の諸概念の相互置換の可能性と不可能性を検証し、とりわけ、なぜ主体(性)の概念
がそこではほとんど不在であるのかを予想する。そのために、主体(性)概念を実際に
キーワードとして用いている、最近の日本人演劇研究者のいくつかの論文を取り上げて
比較を試みる(日本演劇学会紀要『演劇学論集』の最近ナンバー、およびCINIIのキー
ワード検索の結果を参考にする)。
発表者プロフィール(やました よしてる)
専門領域はドイツ語圏を中心とする近現代演劇、および演劇理論。記憶の概念からの現
代演劇の再考察を進行中。成城大学教授。日本演劇学会紀要編集委員、西洋比較演劇研
究会例会企画。
* 今後の例会予定 11月14日、12月12日、1月23日。
  研究発表ご希望のかたはぜひご連絡ください。1月に空きがあります。
連絡先: y3yamash@seijo.ac.jp

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