西洋比較演劇研究会 10 月例会のお知らせ

西洋比較演劇研究会10月例会のご案内
まだまだ暑い日が続きますが、後期の最初の例会をご案内いたします。
7月に引き続き、会場が異なります。ご注意下さい。
日時 2010年10月2日 14:00〜18:00
場所 慶應義塾大学日吉キャンパス,来往舎2階中会議室
http://www.keio.ac.jp/ja/access/hiyoshi.html
をご参照ください.
■交通アクセス
・東急東横線、東急目黒線
・横浜市営地下鉄グリーンライン
日吉駅下車、徒歩1分
※東急東横線の特急は日吉駅に停車しません。
※渋谷〜日吉:25分(急行約20分)
※横浜〜日吉:20分(急行約15分)
※新横浜〜菊名〜日吉:20分
1 合評会 『現代演劇の地層―フランス不条理劇生成の基盤を探る』(ぺりかん社 2010
年4月)
内容紹介 小田中章浩(著者)
討論 根岸徹郎・山下純照
2 研究発表 山下純照 「舞台の羊皮紙()――野田秀樹の『ザ・キャラクター』におけ
る想起の形象化としての主人公マドロミの存在性格を中心に――」
要旨
野田秀樹の『ザ・キャラクター』(2010年6月〜8月 東京芸術劇場中劇場)は、オ
ウム事件(90年代)の社会的記憶を中心的素材とするが、過去の再現劇ではなく、現
在における想起を主題にしているという意味で記憶の演劇として位置づけられる。発
表者は常々、現代演劇におけるこのようなタイプを研究対象としており、その典型例
の一つとしてこの作品を解釈することができるように思われる。
作者は劇化にさいしての必然的課題として、信徒の集団に相当する人々はどのように
して「狂信的」集団へと性格(キャラクター)を変えていったのかを舞台の上で解剖
してみせている。その意味では作品構造は分析的であり、意外にも『オイディプス
王』的な古典的悲劇の構造との一致を示している。無惨な過去を解明する主体である
マドロミという主人公が、みずからが犯罪性に「荷担」したという驚くべき発見と認
識を得るからである。この「荷担」のメカニズムの布置として、信者集団が町の書道
塾に設定された上で、かみ(紙・神)の掛詞や、漢字(キャラクター)の作りや、英
語のあるフレーズをめぐるコトバ遊びをレトリックとして、ギリシャ神話の世界が導
入され劇の動機となる。もともと精神主義の傾向を持つ書道塾(とりわけその家元)
がこれによって超越的な志向性を強めていくという筋書きだが、そこに決定的な形で
関与したのが、マドロミが探し求める弟である。マドロミは彼が被害者となったので
はないかと危惧し、塾の集団に本心を偽って入り込み、彼を探し求めている。ところ
が、周囲の者の性格を吸収して膨張していく特殊な能力の持ち主らしい家元に、
ジャーナリストだった弟自身が、もっとも危険な変化の要因、すなわち神話的ジャー
ゴンを与えてしまったのである。映像で巧みに対象化されるマスコミの姿と、信者集
団のすがたが隠喩的に並列されているのは偶然ではない。やがて理性では駄目だ、
ディオニュソスで行こう、とニーチェばりのコトバを叫んだ家元は、世界の「腑分
け」を決意する。そもそもマドロミ自身が、家元の書いた「袖」の書き間違いを
「神」と見なす提案をして、こうした方向の変化に「荷担」していたことを指摘すべ
きだろう。
しかし、『ザ・キャラクター』は古典的悲劇の範疇には、半分しか回収されない。
主人公の犯罪への「荷担」という過誤にもかかわらず、そのことによってマドロミが
滅びるわけではない。ただ、マドロミの分身とも言うべき弟は、最終的に毒物「サイ
レン」によるテロ実行犯になったことがわかり、破滅の道を歩んだことになってい
る。野田は、悲劇的罪を犯した者と、そのことを探求し、認識・反省する者という対
照的な二人を肉親に設定し、悲劇の近縁ではあるがそれと一致はせず、むしろそれを
包含する記憶の演劇を構成した。
記憶の演劇としての『ザ・キャラクター』の筋の構造は、このような包含関係に応
じて複雑なものである。それは『オイディプス王』におけるような、線的な「回顧→
前進」様式にはなっていない。その前進線は多くの断片に引き裂かれ、前後に散乱し
ている。それを体現したのが家元の性格であって、上記の変化の結果であるはずの彼
のカリスマ化は、劇の冒頭ですでに起こってしまっている。進行形と完了形の混在は
この劇の時間構造の基本的な特徴である。このことを可能ならしめているのが、マド
ロミという主人公の曖昧な存在性格である。端的に言って、彼女は劇の外部=「時間
の裏側」にいると同時に、内部=「劇の現在」にいる。これは、『わが町の』進行役
のように、内部と外部を往還するというのとは異なっている。いわば隔絶された箱=
過去の内外を約束事によって往還する後者とは異なり、マドロミは内部にいるときも
外部からそのことを省察しており、外部にいるときも絶えず内部のことを想起してい
る。マドロミは、想起する行為を観念化した人物形象であり、マドロミという名はそ
の存在性格を表しているとともに、野田秀樹の立場をも表している。夢の遊眠社の全
盛時代は、95年への流れと同時だった。野田は、「少年」の概念を積極的な方法論と
していた遊眠社時代の自己と、『ザ・キャラクター』の家元との関係を見極める必要
があった。「幻」の字をばっさり両断する勢いで「幼」の字に書き換えた宮沢りえの
マドロミは、終末の長ぜりふを言うからばかりではなく、野田秀樹の分身である。
『ザ・キャラクター』において、記憶の演劇は明白に一つの倫理的次元を開拓したと
言える。
*お願い 会員の方で今年度の会費3000円をまだ入金されていないかたは、下記の口
座にお納めください。
ゆうちょ口座 10090-81899251 セイヨウヒカクエンゲキケンキュウカイ
他銀行からの振込みの場合は「ゆうちょ銀行 店名〇〇八(読み=ゼロゼロハチ)普
通 8189925(7桁)

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