西洋比較演劇研究会5月例会のお知らせ

今回はご案内がぎりぎりとなり、大変ご迷惑をおかけしました。次のように5月例会を開催いたします。

日時 2014年5月17日(土)14:00-18:00

場所 成城大学7号館723教室(変更になりました)

1 研究発表 山下純照

2 報告 永田靖 

1 研究発表「ドイツ演劇界におけるジョージ・タボーリ受容の変化——衝撃と拒否から肯定へ——」山下純照

演劇学会の最近の会報に寄せた拙稿「研究の視点:バースデイ・パーティ」からも察せられるように、1990年代前半から2007年の死に至るまでの晩年のタボーリは、ドイツ社会のいわば寵児となっていた。個々の演出や新作への手厳しい劇評がなかったわけではない。が、存在としてのタボーリは言わば不可侵の域に達していた。しかし彼は1971年の渡独後、常に好意的な評価を受けてきたわけではなかった。それどころか70年代のドイツ演劇界は全体として、タボーリに対しその先鋭性とドイツの制度になじまない創造スタイルのゆえに拒絶的であった。180度の転換と言えるこのような受容の変化はいかにして引き起こされたのだろうか。今回の発表では、70年代のタボーリを象徴する二つの上演『ピンクヴィレ』(1971年)と『断食芸人』(1977年)、評価転換期の話題作『わが母の肝っ玉』(1978年)と『ベケット・アーベント㈵』(1980年)、80年代後期の成功作『わが闘争』(1987年)とドイツ語圏文学者として最高の栄誉とされるビューヒナー賞の受賞作となった『ゴルトベルク変奏曲』(1991年)に触れながら、上の問いに答えることを試みる。手続きとしては、いくつかのTV映像からのヒントを皮切りに、劇評を最も基礎的な資料として用い、刊行されたテクストに基づく作品紹介をもおこないながら、活動内容の変化と反応の変化を連動させてみたい。仮説の形で、そうした変化とその背景をなす社会文化史との関連を若干展望するところまでを目標とする。 (注 論者はこれまでTaboriの表記を「タボリ」としてきた。しかし、ファーストネームのGeorgeが、ドイツではハンガリー風の「ジェルジ」ではなく、本人のアメリカ帰りを背景とした「ジョージ」であるのに合わせて、ファミリーネームも、同地で呼び慣わされている「タボーリ」に変更することにしたい。)

プロフィール:やました よしてる 専門領域はドイツ語圏を中心とする近現代演劇、および演劇理論。記憶の概念からの現代演劇の再考察を進行中。成城大学教授。日本演劇学理事。

2 報告「文化庁『大学を活用した文化芸術推進事業;劇場・音楽堂・美術館等と連携するアートフェスティバル人材育成事業』について」永田靖

平成25年度に大阪大学文学研究科が中心になって獲得した表記補助金事業について、その簡単な概略を報告し、あわせてそこで明らかになった問題点と可能性について、文化庁事業が示す問題性と同時にその文化政策的な転換を、大学がどのように活用し、人材育成につなげて行くのか、またその際の問題点は何かなどについて、大阪大学文学研究科の事例に即して議論したい。

プロフィール:ながた やすし 専門領域はロシア語圏及び日本の近現代演劇史。アジアの演劇研究のネットワーク構築を進めている。日本演劇学会事務局長、IFTR Asian Theatre WG 主宰。

西洋比較演劇研究会・2014年度総会および第1回例会のお知らせ

2014年度総会および第1回例会のお知らせです。年度初頭のお忙しい折かと思いますが、奮ってご参加くださいますよう、よろしくお願いします。なお、終了後には簡単な懇親会を行う予定です。こちらも併せてご参加ください。

日時 2014年4月12日(土)
会場 成城大学本部棟3階大会議室
小田急線、成城学園前駅下車(急行可、快速急行は不可)、北口徒歩3分(南口横に交番あり)。
(正門を入って、すぐ左の建物が本部棟。すぐの入り口を入り、エレベーターあり)

14:00-15:00 総会
15:00-18:00 討論「日本での国際舞台芸術祭における諸問題:イプセン演劇祭とフェスティバル/トーキョーを手がかりに」
報告 毛利三彌・萩原健

※終了後、会場にて懇親会を行う予定です。

【報告要旨】
報告1 〈現代イプセン演劇祭〉からの問題点
毛利三彌

(舞台そのものについて詳しく述べることはしないが、見ていない人も多いだろうから、名取事務所のHPに載せた私の演劇祭総括文−各舞台についての私の個人的感想ーを、あらかじめ読んでおいていただけるとありがたい。〈現代イプセン演劇祭総括〉でネット検索すれば出てくる。)
昨年11月から12月にかけて、東京で開かれた現代イプセン演劇祭(「人形の家」特集)では、6つの舞台が上演された。そのうち4つが海外の舞台であったが、そこから出てきた演劇上演に関する問題、すなわち、演技の問題、近代古典劇上演の問題、字幕の問題について思うところを述べたい。
(i)演技の問題
今回の演劇祭で、ノルウェーの女優ユーニ・ダールの一人芝居「イプセンの女たち」の演技に多くの賛辞が寄せられた。彼女は、自分の演技はスタニスラフスキー・システムを土台としていると言っていたが、一昨年度来、スタニスラフスキー・システムの再検討が、研究会のテーマの1つになっていることもあり、彼女の演技が、日本の新劇の演技とどう違っているのか、なぜ違っているのかを考えてみたい。

(ii)近代古典劇上演の問題
4つの海外舞台は、それぞれに演出方針が全く異なっていた。これはイプセンに限らず、近代古典劇現代上演の一般的状況であると思われる。いずれも、私の舞台を含めて、日本の上演とは違った形をとっている。おそらく歴史的事情と社会状況の違いによるものであろう。特に、独裁政権崩壊後のチリの「ノーラ・ヘルメルを追いかけて」の舞台から、それを強く感じた。比べて、日本の演劇状況のたるんでいることも。だがこの論を進めていくと、たるんだ若者を鍛えるために徴兵制度を復活させるべきだ、というような議論になりかねないところもある。

(iii)字幕の問題
海外からの舞台では、一時流行ったイヤホンによる同時通訳方式はほとんど姿を消し、いまは、大半が字幕方式をとっている。だが、多くが十全なものではなく、字幕で舞台の成功不成功が左右されることも少なくない。なかなか解決できない問題だが、実際には、制作上の問題にとどまらず、戯曲翻訳学の重要問題となる可能性がある。外国舞台の映像記録としても考察すべき問題だろう。

このような問題提起に対する出席者の討論を期待したい。

《プロフィール》
毛利三彌(もうり・みつや)。成城大学名誉教授・元日本演劇学会会長。
主な著書編書:『北欧演劇論』、『イプセンのリアリズム』(日本演劇学会河竹賞)、『イプセンの世紀末』、『演劇の詩学』、『演劇論の変貌』(編著)。
主な訳書:『北欧文学史』(共訳)、『講談社世界文学全集 イプセン、ストリンドベリ集』、『イプセン戯曲選集−現代劇全作品』(湯浅芳子賞)
主な演出:イプセン現代劇連続上演(名取事務所1999〜2012)

報告2 フェスティバル/トーキョーとリミニ・プロトコル
萩原健

2009年春に始まった国際舞台芸術祭、フェスティバル/トーキョー(F/T)は昨秋で6回目を数えた。本報告では、F/Tの概況報告に続けて、繰り返し招かれている国内外の作り手のなかからリミニ・プロトコル(2000年結成)を取り上げ、彼らがF/Tで発表し、報告者がその制作に関わった3作品——『カール・マルクス:資本論、第一巻 東京ヴァージョン』(09年春)、『Cargo Tokyo-Yokohama』(09年秋)、『100% トーキョー』(13年秋)——を中心に、そのクリエーションにおける、演技、近代古典劇の現代化、字幕の各点について検討する。またここから導かれる、F/Tの特徴と課題について考えたい。

《プロフィール》
萩原健(はぎわら・けん)
明治大学国際日本学部准教授。
現代ドイツ演劇および関連する日本の演劇。共訳に『パフォーマンスの美学』(2009)、共著に『演劇インタラクティヴ 日本×ドイツ』(2010)、『村山知義 劇的尖端』(2012)ほか。戯曲翻訳、稽古場通訳、字幕翻訳・制作・操作も手掛ける(萩原ヴァレントヴィッツ健)。

西洋比較演劇研究会1月例会のお知らせ

【会場:慶応義塾大学日吉キャンパス】

いよいよ2013年もあとわずかとなりました。今年もお世話になりました。早いもので、今年度の例会のお知らせです。お忙しい折とは思いますが、奮ってご参加くださいますようお願い申し上げます。
※なお、最初の辻佐保子氏の発表は、質疑も含めて、英語のセッションとなります。

日時 2014年1月11日(土) 午後2時〜6時
会場 慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎2階大会議室

■住所
〒223-8521 神奈川県横浜市港北区日吉4-1-1
■交通アクセス
・日吉駅(東急東横線、東急目黒線/横浜市営地下鉄グリーンライン)隣接
※東急東横線の特急は日吉駅に停車しません。

〔研究発表1〕※英語セッション
(日)身体の現前性の称揚——ミュージカル『フェイド・アウト-フェイド・イン』における物語内容と形式の捻れに着目して 
(英)”The Affirmation of Physical Presence–An Analysis of Skew Lines Between the Narrative and the Form in Fade Out-Fade In

<発表者>辻佐保子

<要旨>
 本発表は1964年初演のミュージカル・コメディ『フェイド・アウト-フェイド・イン』の作品分析から、ミュージカル映画のバックステージを演劇として表す意義について論じるものである。ヒット作『ベルがなっている』(Bells Are Ringing, 1956) の制作者たち(脚本と歌詞:ベティ・コムデン&アドルフ・グリーン、作曲:ジュール・スタイン)が再結集し、主演を当時のTVスターであるキャロル・バーネットが務めたにも関わらず、『フェイド・アウト-フェイド・イン』はこれまで「スター主義的な作品群の一つ」及び「1930年代のミュージカル映画への諷刺」といった評価に留まり、詳細な研究はなされてこなかった。しかしながら、脚本家コムデン&グリーンの作風とも言われる形式やメディウムへの自己言及性に着目した時、ミュージカル映画の内幕を演劇として描くという本作に内包される捻れは看過しがたい。本発表では、これまで精密に論じられてこなかった作品の全体像を見直した上で、物語内容と形式との関わりを分析していく。そして、『フェイド・アウト-フェイド・イン』が映画の世界を取り上げることで逆説的に身体の現前性を前景化させ、演劇の特質として肯定しようとした作品であることを指摘して、再評価への端緒としたい。

〈プロフィール〉
慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース博士後期課程在籍。アメリカン・ミュージカルにおける楽曲や歌うという行為の担う機能について、ベティ・コムデン&アドルフ・グリーン作品を中心に研究している。論文に「”Time is Precious Stuff”–ミュージカル『オン・ザ・タウン』における時間表象についての考察」(2012年)、「電話・俳優・「パフォーマティブ」な演技のモード——ミュージカル『ベルがなっている』論」(2012年)など。

〔研究発表2〕
S.アンスキ『ディブック』とユダヤ演劇の近代 
<発表者>村井華代

 一般に、ユダヤ民族は偶像崇拝の禁止ゆえに、祭日行事であるプリム劇を除き、1870年代のイディッシュ演劇創始まで民族独自の演劇文化を形成してこなかったと言われる。そのような土壌に、19世紀末の4半世紀、2つのジャンルの演劇——ディアスポラ文化としての「イディッシュ語演劇」と、シオニズム運動の一環としての「ヘブライ語演劇」——が誕生したことについては、近代演劇全体の視野からもっと議論がなされてよい。この2種の近代演劇の在り方とその意味を、我々はどのように位置づければよいだろうか。
 本発表では、その2ジャンル双方にとっての記念碑的作品である戯曲、S. アンスキ(S. An-sky, 1863−1920)の戯曲『ディブック——あるいは、ふたつの世界の間』を取り上げ、その複雑な成立の過程から、ユダヤ演劇の近代の一様相のあぶり出しを試みる。「ディブック」とは、ユダヤの伝承に登場する、生きた人間に憑依する汚れた魂をいう。アンスキは、1910年代の激動のロシアで、2年に渡るロシア帝国内の民俗学研究旅行を通じてこれを劇化、引き裂かれた恋人に憑依する青年の霊としてドラマ化した。「メロドラマ」と言われることも多いこの劇のモダニズムと、ユダヤ演劇の2ジャンルとの演劇の関係について、作者の人生の在り方と共に考察したい。
 なお『ディブック』は、「エス・アンスキイ」作「デイブツキ」(中川龍一訳)として、『西班牙・猶太劇集』(『世界戯曲全集』第39巻「西班牙・猶太篇」、1930)邦訳刊行されている。

〈プロフィール〉
共立女子大学文芸学部教員。国別によらず、演劇現象学、反演劇主義とキリスト教神学等、西洋演劇理論を扱ってきたが、現在の主たる関心領域は、ユダヤ・イスラエル演劇。

西洋比較演劇研究会12月例会のお知らせ

連続シンポジウム「スタニスラフスキーは死んだか?」第二回・日本におけるスタニフラフスキー

日時:12月7日(土)14:00-18:00
会場:成城大学(教室未定)

司会:井上優(明治大学)
講師:藤崎周平(日本大学)
講師:笹山敬輔(日本近代演劇研究)

「スタニスラフスキー・システムの歴史的検証」と題した第一回(2012年12月)は、浦雅春(東京大学大学院教授)・堀江新二(大阪大学大学院教授)両氏を講師にお呼びし、ロシアで誕生したスタニスラフスキー・システムとは本来どのようなものであったか、そしてロシアや海外で現在までどのように用いられてきた、ということについてお話しいただいた。その概要は電子ジャーナル『西洋比較演劇研究』第12巻第2号「例会報告」に詳しく収められている。

第二回「日本におけるスタニスラフスキー」は、藤崎周平(日本大学教授)・笹山敬輔(日本近代演劇研究)両氏をお迎えして、戦前から戦後にかけて日本でスタニスラフスキー・システムがどのように理解され、受容されてきたかについてお話しいただく。

1. 発表:笹山敬輔「戦前から戦後にかけてのスタニスラフスキーの受容」

演技術は、第一義的には演技をするための「技術」であるが、その背景には多様な思想や文化状況が存在している。そのため、スタニスラフスキー・システムのような西洋の演技術が日本に移入されるときには、その演技術が日本の身体観や心理観に影響を与えるとともに、それ自身も影響を受けて変容することになる。それは、受容者側の理解力不足の結果というよりも、その地域における文化状況との交渉であると言えるだろう。日本におけるスタニスラフスキーの受容を考えるためには、それぞれの時代の文化史研究・科学史研究とも接続しながら、脱領域的に論じていくことが必要となる。
本発表では、戦前から戦後にかけてのスタニスラフスキー受容について、三つの時期に分けて論じていく。最初が1910年代から1920年代で小山内薫を中心に、次が1930年代でプロレタリア演劇を中心に、最後が1940年代以降で千田是也の『近代俳優術』を中心とする。その際には、同時代の「身体」や「心」に対する認識の枠組みと照らし合わせながら論じていきたい。

発表者紹介
筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科文芸・言語専攻修了。博士(文学)。著書に『演技術の日本近代』(森話社、2012年)、「モンタージュ理論と演技術――村山知義の「新しい演技」」(岩本憲児編『村山知義 劇的尖端』森話社、2012年)。

2. 発表:藤崎周平「演技基礎教育におけるスタニスラフスキー的手法の実践-RelaxationとRepetition-」

スタニスラフスキー的手法が、日本の俳優養成の現場でどのように引用され、扱われているのか。特に、俳優の基礎教育における実践について報告したい。ここでいう「基礎教育」とは、実際の役作りの前に行われるものであり、演技を包括的に思考し、行っていくための根拠となりえるような訓練のことである。
今回紹介する2例は、1920年代以降、アメリカで展開したスタニスラフスキー・システムから引用された実践である。1つめは、前期の「感覚の記憶」から、リー・ストラスバーグが開発した《Relaxation》、さらには、いわゆるメソード演技が目指す「身体感覚を研ぎ澄ましていく」ために展開する一連の訓練であり、もう1つは、後期の「身体的行動」から、サンフォード・マイズナーが “相手との関係の中から自らの行動を発見していく”訓練として開発した、《Repetition》である。両者を検討しながら、システムの有効性について検討したい。

発表者紹介
日本大学芸術学部教員 専門は演技方法論及び俳優教育
専門学科で俳優教育に20数年従事する。近著に『新演技の基礎のキソ』(主婦の友社)がある。

西洋比較演劇研究会以外の、一般の方のご来聴を歓迎します。会場整備の都合上、前日までにhibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jpにご一報ください。

西洋比較演劇研究会11月例会のお知らせ

今回は会場が明治大学となります。奮ってご参加ください。

2013年11月23日(土・祝)14時-18時
会場 明治大学駿河台キャンパス 研究棟4階 第一会議室
※校舎についてはこちらをご参照ください。
※アクセスについてはこちらをご参照ください。
※リバティタワー正面より左手に研究棟への連絡通路があります。

シンポジウム「復讐の想像力に関する演劇の比較研究:セネカの戯曲と法思想をめぐって」

〈シンポジウムの趣旨〉
今回のシンポジウムは、2013年6月に日本演劇学会全国大会(於・共立女子大学)で行われたシンポジウム「復讐の想像力に関する演劇の比較研究」の続編である。前回のシンポジウムでは古代ギリシャ、エリザベス朝、および16世紀後半のフランスの演劇に見られる復讐について検討した。今回はこれら三つの時代の復讐劇をつなぐ存在であり、西洋演劇における復讐の表象に大きな影響を与えたセネカの戯曲、ならびにその背後にあるローマの法思想について、二人の専門家に論じていただく。

シンポジウム・コーディネータ:小田中章浩(大阪市立大学)
〈コーディネータ・プロフィール〉
大阪市立大学大学院文学研究科教授。専門はフランス演劇、表象文化論。著作に『現代演劇の地層——フランス不条理劇生成の基盤を探る』(ぺりかん社、2010年)『フィクションの中の記憶喪失』(世界思想社、2013年)。

パネリスト1: 玉垣あゆ(名古屋大学)
〈発表要旨〉
セネカの悲劇は、後世の復讐悲劇に大きな影響を与えたと言われる。しかしラテン語において「復讐する」を意味する語ulciscor、u(v)indico、pu(oe)nioが、いずれも「罰する」という懲罰の意味を含んでいるように、彼の悲劇では「復讐(revenge)」と「罰(punishment)」が混在し、翻訳においても訳者の裁量に委ねられていると言える。発表では、劇中の言語に着目し、復讐、及び罰に係わる用語(特に「罰」と訳されることが多いpoena)の用法について詳細に見ていきたい。
〈発表者プロフィール〉
名古屋大学ほか非常勤講師。専門は西洋古典学(主にセネカ悲劇研究)。論文として「セネカの『オエディプス』における運命と意志」(『西洋古典研究会論集』21号、2012)「不実な夫の悲劇——セネカ『パエドラ』についての一解釈——」(比較文化研究106、2013)他がある。

パネリスト2: 林智良(大阪大学)
(1)まず、ごく簡単に法学とフィクション研究の関係を整理して自分の議論の出発点を定める。その際に、林田清明等によりつつ「法と文学」という研究潮流が法学に存在することに言及する。
(2)穗積陳重『復讐と法律』に専らよりつつ、現実の法思想・法制度が一般的には加害に対する報復の程度を制限しており、復讐の連鎖を続けさせない方向を目指したことを説明する。
(3)紀元前5世紀の十二表法における(加害への復仇の)同外報復への限定や元首政期(紀元後2世紀頃)の加害者委付制度などの説明を通じて、ローマ法が諸々の法体系の中でも特に復讐の制限に初期から積極的であったことを示す。その一方で、ユーゴスラヴィアのコソヴォ地方など、血讐を奨励する法体系も近代に至るまでヨーロッパにあった旨を(石部雅亮等によりつつ)示す。
(4)そのうえで、セネカの創造した劇世界に現実のローマ法思想・法制度が有した影響の可能性を、ギリシャ的素材に伏在するローマ的な地金を慎重に見分けつつ、見いだす。
〈発表者プロフィール〉
大阪大学大学院法学研究科教授(ローマ法専攻)。博士(法学)。1962年生まれ。京都大学法学部卒業・京都大学大学院法学研究科博士課程後期単位取得退学。主な著書に『共和政末期ローマの法学者と社会 -変容と胎動の世紀』(法律文化社、1997年)がある。

西洋比較演劇研究会10月例会のお知らせ

厳しい夏もようやく終わりを告げようというとしております。研究・観劇にようやく適した季節となりました。

後期第1回例会の詳細をお送りします。
後期開始早々ということもあり、また、翌週の演劇学会の研究集会とも間がないことから、早めのお知らせとさせていただきました。
※なお、次回例会は11月23日(土・祝)明治大学を会場として行う予定です。

日時:10月5日(土)14時-18時
会場:慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎2階大会議室
■住所
〒223-8521 神奈川県横浜市港北区日吉4-1-1
■交通アクセス
・日吉駅(東急東横線、東急目黒線/横浜市営地下鉄グリーンライン)隣接
※東急東横線の特急は日吉駅に停車しません。

〔研究発表〕
熊谷知子「小山内薫の晩年における英雄・偉人劇について—二世市川左団次の演じた『森有礼』、『戦艦三笠』、『ムツソリニ』を中心に—」

〈要旨〉
本報告では、小山内薫(1881〜1928)作・演出、二世市川左団次(1880〜1940)主演による3つの作品、『森有礼』(1926年12月・歌舞伎座、翌年12月歌舞伎座で再演)、『戦艦三笠』(1927年11月・歌舞伎座)、『ムツソリニ』(1928年5月・明治座)の上演を中心に、小山内の晩年における商業演劇との関わりについて考えたい。小山内の晩年といえば、『国性爺合戦』など近松の改作やソ連訪問などがよく知られているが、まさにそれらと同時期の仕事である、上記の英雄・偉人劇の創作をはじめとした数々の商業演劇における仕事については、これまで十分な考察がされてこなかったように思う。たしかに、これらの戯曲は今日の読者の情動を揺さぶるものではない。しかし、上演時の劇評や雑誌の読者投稿を見てみると、当時流行していた伝記劇のなかでも決して評判の悪いものではなく、むしろ多くの観客を喜ばせていたであろうことが想像できる。今回は、この3つの英雄・偉人劇の上演を考察することで、小山内薫の商業演劇との関係について探る端緒としたい。

〈プロフィール〉
熊谷知子
慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。明治大学文学研究科演劇学専攻博士後期課程在籍。小山内薫の宗教信仰や商業演劇との関わりを中心に日本近代演劇を研究している。論文に「「新劇場」と「至誠殿」—小山内薫の宗教信仰における一考察—」(『文学研究論集』37号、2012年)など。

〔研究発表〕
佐野語郎「全体演劇 わがジャンヌ、わがお七」の創造過程と上演の意味

演劇ユニット 東京ドラマポケットvol.3+シアターΧ(カイ)提携公演「全体演劇 わがジャンヌ、わがお七」(作・演出:佐野語郎/2012年8月24日〜26日/東京・両国シアターΧ)の企画段階から上演終了までの創造過程を検証することで、企画の意図・脚本創作の動機・演出および演技などの実際を明らかにし、戯曲の再現・舞台化ではない演劇の自立性および上演における演技・音楽・舞踊・人形(お七とジャンヌ)などのポリフォニックな舞台表現(多声的要素)による全体演劇の可能性について考察したい。また、劇中劇(主人公は歴史上のヒロインではなく、その父と母)を展開させていくコロスたちは、ムーヴメント・合唱・語り・言葉の音楽・講談、そして劇中劇の人物としても加わりその演技の幅と多様性を求められたが、その演劇的存在についても考えたい。
なお、この公演には、西洋比較演劇研究会の皆さんが何人も来場され、2013年1月発行の上演記念誌BOOKLETには五名の方が劇評を寄稿してくださっている。もちろん多くの会員の方は観劇されていないので、本報告では、資料DVD(34分・英文字幕入り)を映写することで、議論がさらに活発になればと願っている。この資料DVDは、公演完全収録版DVD(2時間15分)の映像記録も取り入れながら、まったく新たに公演紹介用として編集したものです。

〈プロフィール〉
佐野語郎
日本橋女学館高等学校非常勤講師。戯曲創作・舞台演出・童話出版の傍ら、高校・大学の演劇教育に携わる。全国研究集会における発表として「戯曲にみる聴覚効果と音楽演劇の多層性」(大手前大学)「演劇ユニットの形成過程と共同体としての特質」(大阪市立大学)ほか。

工学院大学オープンカレッジ講座(7月期)「『夕鶴』の舞台を読み解く」(講師・佐野語郎)

会員の佐野語郎さんより、以下の講座の回覧依頼がありましたので、お知らせします。

(以下本文)
会員の皆様へ

会員の佐野語郎です。
工学院大学オープンカレッジ講座のご案内をいたします。
講座名は「『夕鶴』の舞台を読み解く」です。

私は、2001年から2009年まで、慶應義塾大学(三田)で「映画演劇論」を担当いたしましたが、そのカリキュラムの中で特に力を入れたのが、木下順二作・山本安英主演の『夕鶴』でした。1965年頃〜、お二人は本郷のYMCAを会場にして「ことばの勉強会」を主宰されていました。学生の私は何回か通い、お話に耳を傾けたものです。また当時未来社から出版されていた演出家・岡倉士朗氏の演出論集を買い求めたりもしました。今回、講座を担当するにあたり、上演映像記録とテキストによって、場面ごとに舞台の魅力を読み解きます。

7/13 舞台空間の魅力/「夕鶴」導入部
7/27 照明と音楽の詩情/展開上昇部
8/24 演出家と俳優たち/転回部AとB
9/14 各界からの評価/下降終結部
9/28 オペラ「夕鶴」と海外公演

このご案内が学生諸君へのご紹介にも結びつきましたら、大変有難いです。1回につき学生は500円、一般は2000円です。
 
工学院大学オープンカレッジ講座(7月期)
「『夕鶴』の舞台を読み解く」
講師:佐野語郎
日時:7月13日・27、8月24日、9月14日・28日(計5回)各土曜日15:00〜16:30
場所:工学院大学新宿キャンパス・中層棟4階(新宿駅西口より5分)
※詳細・申込みは、ホームページをご覧ください。

以上、よろしくお願いいたします。(佐野語郎)

西洋比較演劇研究会2013年度7月例会のお知らせ

会員の皆様
早いもので前期最後の例会の案内です。今回は会場を明治大学に移しての開催となります。何卒奮ってご参集くださいますようお願い申し上げます。

2013年7月13日(土) 14時〜18時
会場 明治大学駿河台キャンパス 研究棟4階 第一会議室

※校舎についてはこちらをご参照ください。
※アクセスについてはこちらをご参照ください。
※リバティタワー正面より左手に研究棟への連絡通路があります。

【研究発表1】
せりふと表情と翻案と —文士俳優・土肥春曙の理想と挫折—
村島彩加(明治大学)
【研究発表2】
セネカ悲劇に見る「運命」と「人」〜『トロイアの女たち』における劇構造の観点から〜
玉垣あゆ(名古屋大学)

※終了後臨時総会が開催される可能性があります(15分程度の予定)。

【発表要旨1】
せりふと表情と翻案と —文士俳優・土肥春曙の理想と挫折— 
村島彩加

文芸協会の俳優として演劇史に名を留めている土肥春曙(1869〜1915)は、従来の演劇研究において言及されることの少ない存在であった。その当たり役としては、文芸協会公演における『ハムレット』のタイトルロールが知られているが、彼の役者としてのスタートは明治38年(1905)であり、その活動は短い一生の最晩年の10年に満たない。しかし、彼は明治34〜35年(1901〜02)の川上音二郎一座欧州巡業に「通訳兼演劇研究」として随行して以降、多くの演劇および文芸雑誌に欧州の演劇事情を紹介する文章を掲載、また従来の歌舞伎とも新演劇とも違う新しい演技の創生を提唱し、社会劇の翻案上演を推奨していた。それらの言説、またそこに立脚しての彼の演劇活動からは、彼が文芸協会の花形役者としてだけではなく、様々な角度から時代に即した新しい演技を模索していた過程が浮かび上がってくる。本報告では、従来等閑視されがちであった春曙の活動を「俳優として」「文士として」「演劇の指導者として」の三点から検証し、彼が理想とした新しい演技と、その完成に向けての模索の跡を辿ることで、初期の新劇における演技術創出の一端を知ることを目的としたい。

<発表者プロフィール>
村島 彩加
明治大学文学部兼任講師。幕末〜大正期の演劇写真に見る歌舞伎の近代化を検証することを中心に、化粧、表情など演技の様々な要素の近代化を研究している。

【発表要旨2】
セネカ悲劇に見る「運命」と「人」〜『トロイアの女たち』における劇構造の観点から

玉垣あゆ(名古屋大学)

昨年末イスラエルに於いて、エウリピデス作『トロイアの女たち』がアラブ系、ユダヤ系のイスラエル人と日本人の俳優たちによって上演されたことは記憶に新しい。前416年のアテーナイ人によるメーロス島民虐殺事件を踏まえて作られたこの劇は、一般に「反戦劇」と解釈される。それに対し、エウリピデスから約450年後、平和を謳歌する古代ローマにおいて、哲学者セネカによって制作された同名の悲劇は、トロイア戦争後のトロイアという舞台背景、敗者であるトロイアの女たちと勝者であるギリシアの将軍たちという登場人物たちこそほぼ同一であるものの、「反戦劇」と捉えられることはない。これは、劇中に冥界の描写や亡霊の登場が認められる一方、「死後は何も存在しない」というストア思想を歌う第二合唱歌の存在があり、この矛盾をどう解釈するのか、「死」について多く論じられてきたためである。しかしこの部分的な矛盾に捕らわれるあまり、先行研究では全編を通した劇そのものの解釈が疎かにされてきたように発表者には思われる。本発表では、『トロイアの女たち』におけるセネカの独自性を確認した上で、「輪の構成(ring-composition)」と登場人物たちの対応関係という既に指摘された劇構造に再度着目し、登場人物たちの間に新たな対応関係を見出すことによって、「運命」という枠の中で人がいかに生きるか、人としての心のあり方が本作品を通して読みとられることを明らかにしたい。

〈発表者プロフィール〉
玉垣あゆ
名古屋大学ほか非常勤講師。専門は西洋古典学(主にセネカ悲劇研究)。「セネカの『オエディプス』における運命と意志」(『西洋古典研究会論集』21号、2012)「不実な夫の悲劇−セネカ『パエドラ』についての一解釈−」(比較文化研究106、2013)

西洋比較演劇研究会5月例会のご案内

会場が通常と異なりますのでご注意ください。

次回例会は、先日お知らせしたように、エリカ・フィッシャー=リヒテ氏の新刊書『演劇学へのいざない 研究の課題』をめぐっての討論となります。著者は当会が主催した国際演劇研究集会に何度も参加して下さった、非常に縁の深いドイツの演劇学者です。演劇学の基礎概念とその適用に関するこの著者の近刊をめぐって、訳者を中心に討論していく予定です。

日時 5月18日(土)14:00〜18:00
場所 慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎一階シンポジウムスペース
※予約名は「慶應演劇論研究会・西洋比較演劇研究会」です
※交通・アクセスはこちらを参照(地図の9番の建物です)

新刊書評討論
エリカ・フィッシャー=リヒテ『演劇学へのいざない 研究の基礎』山下純照、石田雄一、高橋慎也、新沼智之訳、国書刊行会、2013年4月

参加者:訳者;石田雄一(中央大学)、高橋慎也(中央大学)、新沼智之(明治大学)
    質問者;中島裕昭(東京学芸大学)、萩原健(明治大学)
     ※山下純照氏は在外研究で日本におられないため参加できません。

まずは訳者に本書の内容を簡単に説明してもらい、続いて、同著者の『パフォーマンスの美学』を翻訳した質問者のお二人から口火を切っていただき、それからフロア全体で討論をするという進行を予定しています。ドイツ語からの訳書ですので、もちろん討論が翻訳の問題に及ぶこともあるかとは思いますが、基本的には日本語レベルでの討論を、と考えております。時間もたっぷり確保しておりますので、内容の不鮮明なところの確認なども含めて、多くの質問、意見、感想が出てくることを期待しております。

《討論参加者・質問者プロフィール》
石田雄一
中央大学法学部教授。ドイツ演劇・文学。「演劇が聞こえる風景—ハイナー・ミュラーの『絵の記述』と『ヴォロコラムスク幹線路』を例に」(『近代劇の変貌』中央大学出版部、2001年所収)、「祭儀の物語性と劇性について—カロリング朝時代のミサの変化を例に」(『「語り」の諸相』中央大学出版会、2009年所収)。

高橋慎也
中央大学文学部ドイツ語文学文化専攻教授。ドイツ演劇・文学。「マルターラー演劇の「孤独」のモチーフとパフォーマンス性 : 演劇ドキュメンタリー映画『家族会議(Familientreffen)』を題材として」(中央大学ドイツ学会『ドイツ文化』67、2012年)、『テロリズムの記憶と映像芸術』(日本ドイツ学会紀要42、2008年)、『ドイツ統一後のベルリン演劇の展開』(中央大学文学部紀要100、2007年)など。

新沼智之
明治大学ほか非常勤講師。演劇学、ドイツ演劇の近代化プロセス。「ドイツ演劇の近代化の出発点—コンラート・エクホーフの試行錯誤」(『演劇の課題』三恵社、2011年所収)、「18世紀後半のドイツにおけるアンサンブル演技理念の方がと劇団規則」『西洋比較演劇研究』第12巻2号、2013)など。

中島裕昭
東京学芸大学演劇分野教授、学部表現コミュニケーション専攻・大学院表現教育コース担当。専門は現代ドイツ演劇・文学、演劇教育、パフォーマンス研究。共著に『ドラマ教育入門』、共訳に『パフォーマンスの美学』など。

萩原健
明治大学国際日本学部准教授。現代ドイツの舞台芸術(特に演出の歴史)および関連する日本の舞台芸術。共著に『村山知義 劇的尖端』、共訳に『パフォーマンスの美学』など。舞台通訳、字幕翻訳・制作・操作。

西洋比較演劇研究会4月総会・例会のご案内

新たな年度の開始がまもなくとなりました。以下のように総会と最初の例会をひらきます。

日時 2013年4月13日(土)14:00〜18:00
場所 成城大学7号館3F・733教室

1 総会
2 研究発表

管理された無秩序:「バナ学バトル★☆熱血スポ魂秋の大運動会!!!!!」における身体と「なりきり文化」

日比野啓(成蹊大学)
アニメの主題歌やアイドルの楽曲を中心としたJポップをサンプリングして大音響で流しながら、制服・軍服姿の男女が踊り、叫び、舞台から客席に向かってなだれ込み、物や液体を投げつける、というバナナ学園純情乙女組(以降「バナ学」)の挑発的で刺激的な公演は、1980年代以降の小劇場演劇とは一線を画し、精神においてアングラ演劇を思い起こさせるものであり、とりわけ観客とのインタラクションに重きをおくそのスタイルは近年の日本の小劇場におけるコミュニケーションのありようを再定義するものであった。その一方で、アングラの実践を理論的に補強するものだった、疎外論にもとづく解放言説—「肉体の叛乱」(土方巽)という言葉が想起させるような—とバナ学は無縁である。バナ学のパフォーマンスが作り出すカオスとは、あらかじめその効果を厳密に計算された、管理されたものであり、パフォーマーたちが振り付けどおりの一糸乱れぬ動きをするさまは北朝鮮のマスゲームまたはナチスドイツ時代の軍隊行進を思わせるものだからだ。にもかかわらず、竹内敏晴ならば「学校的身体」と呼んだかもしれないバナ学のパフォーマーたちの身体は生き生きと躍動しており、生のエネルギーとしか呼びようのないものが劇場には充満している。本発表では、バナ学のこれまでの作品をビデオで紹介しながら、同時代サブカルチャーとの密接な関係、とりわけカラオケ/コスプレ/ニコニコ動画「やってみた」といった、日本的な「なりきり文化」の影響を確認したうえで、これを補助線として、抑圧/解放という二項対立を無効化する新たな身体論の実践としてバナ学の公演を位置づけたい。

日比野啓。成蹊大学准教授。東京大学大学院文学部英文科修士課程、ニューヨーク市立大学演劇学科博士課程修了。編著に『明治・大正・昭和の大衆文化─「伝統の再創造」はいかにおこなわれたか』(彩流社、2008年)など、共著に松本尚久編『落語を聴かなくても人生は生きられる』(ちくま文庫・2012年)など。論文に “Oscillating Between Fakery and Authenticity: Hirata Oriza’s Android Theatre” (Comparative Theatre Review, 11:1 [2012]) など。